黒川創〜鶴見俊輔〜大江健三郎

黒川創さんの新刊『明るい夜明るい夜文芸春秋)のことが「読売新聞」(05.11.21 http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20051121bk11.htm)で紹介されている。
僕は黒川氏に一度だけ会って簡単な挨拶をしたことがある。それは僕が勝手に私淑していた、故上野博正さんの「偲ぷ会」でのことだった。そばには加藤典洋氏もいた。僕は氏の芥川賞受賞候補になった『もどろきもどろきを読んだ感想を述べ、その小説のテーマになっている氏の父親・北川恒彦さんの死を悼んだ。北川氏は京都で「思想の科学研究会」を担う中心人物であったが、その北川氏を間近にみたのは、上野さんの出版パーティの祝辞で氏が「ヘイ・ジュード」を唄ったときで、そんな想い出を黒川さんに話しもしたのだった。ちなみにその傍らに上野さんの子息・創(はじめ)さんもいた。黒川創さんはペンネーム(本名・北川恒)だが、ともに「創」さんであることは偶然ではないかもしれない……。
ところで、黒川さんは「20代でノンフィクションを書いて注目され、後に評論を手がけ、やがて小説を書くように」なった方で、僕は評論集『先端論』ISBN:4480855092、1989年、筑摩書房)や『リアリティ・カーブ―「戦無」と「戦後」のあいだに走る』ISBN:4000024590、1994年、岩波書店)で注目していた。とくに2作目の評論集は、いまはなき京都の駸々堂京宝店で立ち読みし、吉本隆明の「中野重治」論を批判している視点に感心したのをよく覚えている。その本が手元にないので先ほど、Webで注文したところだ。
この当時(上野さんが亡くなる前の1990年代)の黒川さんは、加藤典洋氏と一緒に雑誌「思想の科学」の編集委員をしていた。そのためもあってか、黒川さんの感性と加藤典洋さんとの感性には親近性があるように思える。思想的系譜を言えば、おそらく鶴見俊輔−北川恒彦−加藤典洋と繋がるだろうと勝手に思っている。
新聞記事によれば「現在は、鶴見俊輔さん、加藤典洋さんと本をまとめるべく、第2次大戦中に行き来した「戦時交換船」について取材を進めている」そうだから、鶴見さんの眼差しを継承していると言っても間違いではないだろう。ちなみに氏の妹さんが北川街子さんという方で、京都で「編集グループ<SURE>工房」(http://www.groupsure.net/books/mouroku.html)の代表をしている。鶴見俊輔さんの『もうろくの春 鶴見俊輔詩集』セミナーシリーズ<<鶴見俊輔と囲んで>>」を刊行している。「鶴見俊輔囲んで」ではなく「鶴見俊輔囲んで」というのが、とてもよい!
僕は鶴見さんと間近で会話したのは数度しかないが、氏が自らを「悪人」と自己批評する眼差しは実存的であるように思われ、その眼差しは大江健三郎の「絶望」とも通底しているだろう。また二人とも、凡庸な「平和主義」を唱えていると極左・極右から嘲笑されてきたが、じつのところ彼らほど「ニヒリズム」を思想の根底に置いている思想家はいないように思えるのだった。