今週の本棚:養老孟司・評 『医者、用水路を拓く…』=中村哲・著

1月6日の毎日新聞の書評で、いつになく(?)養老孟司が熱い!
やっぱり中村哲さんは凄いパワーの持ち主だと再確認した。

最初にお会いしたとき、なぜアフガニスタンに行ったのか、教えてくれた。モンシロチョウの起源が、あのあたりにあると考えたという。その問題を探りたかった。自然が好きな人なのである。

そのまま、診療所を開く破目(はめ)になってしまった。診療所は繁盛したが、現地の事情を理解するにつけて、なんとかしなければと思うようになった。アフガン難民を、ほとんどの人は政治難民だと思っている。タリバンのせいじゃないか。それは違う。旱魃(かんばつ)による難民なのである。二十五年旱魃が続き、もはや耕作不能の畑が増えた。そのための難民が、ついに百万人の規模に達した。それを放置して、個々人の医療だけにかかわっているわけに行かない。

(……)

叙述が面白いも、面白くないもない。ただひたすら感動する。よくやりましたね。そういうしかない。菊池寛の「青の洞門」(『恩讐(おんしゅう)の彼方(かなた)に』)を思い出す。必要とあらば、それをする。義を見てせざるは勇なきなり、とまた古い言葉を思い出す。

だから書評もごちゃごちゃいいたくない。こういうことは、本来言葉ではない。いまは言葉の時代で、言葉を変えれば世界が変わる。皆がそう信じているらしい。教育基本法を変えれば、教育が変わる。憲法を変えれば、日本が変わる。法律もおまじないも、要するに言葉である。「おまじない」を信じる時代になった。

(……)

国際貢献という言葉を聞くたびに、なにか気恥ずかしい思いがあった。その理由がわかった。国際貢献と言葉でいうときに、ここまでやる意欲と行動力の裏づけがあるか。国を代表する政治家と官僚に、とくにそう思っていただきたい。それが国家の品格を生む。

同時に思う。やろうと思えば、ここまでできる。なぜ自分はやらないのか。やっぱり死ぬまで、自分のできることを、もっとやらねばなるまい。この本は人をそう鼓舞する。若い人に読んでもらいたい。いや、できるだけ大勢の人に読んで欲しい。切にそう思う。

http://mainichi.jp/enta/book/hondana/news/20080106ddm015070135000c.html

「やろうと思えば、ここまでできる。なぜ自分はやらないのか」、それが出来ないのは勇気がないからだろう。
義を見てせざるは勇なきなり。
<「おまじない」を信じる時代になった>というフレーズで憶い出したが、鶴見俊輔に「言葉のお守り的使用」を批判する論考があった。ちょっと鶴見の趣旨とは違うかもしれないが、通底する要素もあるかなあ、と。


医者、用水路を拓く―アフガンの大地から世界の虚構に挑む

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