「本屋という快楽」

ジュンク堂書店池袋店の副店長・福嶋聡さんのブログ「本屋という快楽」(http://recre.boxerblog.com/akira_fukushima/2005/11/post_81f5.html)において、「読者という他者」のテーマで図書館と書店のことを書いているので下記に部分引用する。

 無論、「他者」とは即「敵」ではない。書店にも図書館にも、本を愛する人びとが集まってくる。さしあたり、そのことは信じてもいい。ただし、森羅万象すべてを扱いうる商品である本への志向、嗜好、愛し方は、千差万別である。ややもすると同じ言葉を話し、同じ感性を持っていると思いがちな「読者」が、実際には「異言を語る人」である場が、書店であり、図書館なのだ。そのことをぼくは、『「読者」という「他者」』と表現した。

 「子どもの頃から、本が好きだったんです。」
 新入社員採用面接で、半分以上の人はこう言う。面接官であるぼくらは、苦笑を噛み殺す。〔そんなことは分かっている、でなければ、書店に就職活動に来るはずがないじゃないか。〕

 「他人を幸せにすることが好きなんです。書店で本を紹介することによって、そういう仕事をしたいんです。」
 そう語る人も多い。繰り返し聞かされるそうした言葉に、ぼくらは苦笑を噛み殺しきれてはいないかもしれない。〔「他人を幸せにすること」は、たいていの人は好きだ。但しそれが容易なのは、幸せにしたい相手と同じ思いを持っているときに限る。〕

 あらかじめ押さえておきたいのは、その二つの思いが非常に大切であるということである。それらの思いを仕事に反映するのがいかに困難であろうと、書店員はその気持ちを決して忘れてはいけない。忘れてしまっては、書店での仕事はただの苦行になる。その先に「本屋の快楽」はない。書店員にとってはもちろんのこと、書店に訪れる読者にとっても。

 だが、実際に書店の店頭に立って仕事をはじめると、そうした思いは「忙殺」される。自分が好きな本を求めて訪れるお客様は、ほんの一部にしか過ぎないし、そうしたお客様と好きな本について語り合う暇などない。そもそもそんな時間を持つことは、書店員の仕事には含まれていない。大半のお客様からの問い合わせは、聞いたことのないタイトル、まったく知らない著者、意味不明の単語で満ち溢れている。書店員たちは、まず、「読者」を「他者」だと実感する。

本好きが、それを職業にすると「不幸」であることもある。なぜか? 本を「商品」として見るようになり、内容ではなく「売れるか/売れないか」の選択眼が長けてしまうからである。僕なども、一読者として書店の売り場や棚が見えない傾向が強いが、さいきんはやや韜晦してきた。いやー耄碌してきたぶんだけ、愉しみが増えたかもしれない。
だから福嶋さんのコメントは、この業界を目指す人には重要である。それは「本好き」の初発の志を忘れないことが大切であり、この業界で永続きする秘訣でもあると思う。