「書評」の書評

いぜん<「書評」の書評>という企画を「カルチャー・レヴュー」で提案して、広く募集したのだが、うまくいかなかった。それでこれから、できれば毎週の日曜日にはこのブログで黒猫房主による「書評」の感想を綴ってみようと思った。ちなみに「書評」の書評の域には達してしないことをあらかじめお断りしておく。また対象書評は原則「朝日新聞」と「毎日新聞」であるが、これはほぼリアルタイムで読めるという理由にすぎなく他意はない。状況次第では他紙も対象にする。それから明示するまでもないことだが、取り上げる対象「書評」はまったく黒猫房主の恣意的判断による。
30年前の新聞書評の威力は凄かったらしい。渋めの文芸評論が掲載されると3000部は売れたり、重版できたという実話(神話かも?)を聞いたことがある。それほどの訴求力があったのである。現在でも書評効果というのはあるが、いぜんほどの力は持ち得ていないようである。しかし実用的な本などの場合は家庭生活欄での記事紹介のほうが、(僕の経験から言っても)はるかに威力抜群であると思う。
ちなみに一般書の場合は夕刊紙やスポーツ紙のほうが効果絶大であるいう趣旨のことを、白夜書房藤脇邦夫氏はある会で発言していた。同氏は、別の論点から「新聞広告と書評の空洞化」を論じている(『出版幻想論』太田出版)が、この「一般書」というのは実は定義が曖昧であると思う。
取次のトーハンの資料(「しゅっぱんフォーラム」別冊、図解出版流通のしくみ)によれば、販売対象による分類として、一般書・教養書・実用書・専門書・婦人実用書・学参・児童書と区分されている。このうち「教養書」というのは、「専門書」未満の新書・文庫・選書辺りを指すのだろうが、ある意味では、すべての本は教養になり得て実用に供するのではあるが、それは措いておこう。
それでは上記の分類を前提にすると、「一般書」とは「教養書・実用書・専門書・婦人実用書・学参・児童書」以外のすべての書物にならざるを得ない。
しかし賢明な読者は、「一般書」ではなく一般性のある本とは「何か」をすでに知っているだろう。前置きがながくなった。