まなびほぐす〜「われわれ」の脱構築

 戦前、私はニューヨークでヘレンケラーに会った。私が大学生であると知ると、「私は大学でたくさんのことをまなんだが、そのあとたくさん、まなびほぐさなけれなばならなかった」といった。まなぶ(ラーン)、後にまなびほぐす(アンラーン)。「アンラーン」ということばは初めて聞いたが、意味はわかった。型通りにセーターを編み、ほどいて元の毛糸に戻して自分の体にに合わせて編みなおすという情景が想像された。
 大学でまなぶ知識はむろん必要だ。しかし覚えただけでは役に立たない。それをまなびほぐしたものが血となり肉となる。
 徳永は臨床の場にいることによって、「アンラーン」した医者である。アンラーンの必要性はもっとかんがえられてよい。
(「鶴見俊輔さんと語る――生き死に 学ぶほぐす(対談相手:徳永進)」朝日新聞、2006.12.27掲載より)

鶴見の比喩はいつも卓抜だ。「まなびほぐす」ということを伝えるのに、「型通りにセーターを編み、ほどいて元の毛糸に戻して自分の体にに合わせて編みなおすという情景」を思い浮かべることができるのは、まさに「日常の可能性」を語る鶴見らしい観察と叡智なくしてはできない。
また「しかし覚えただけでは役に立たない。それをまなびほぐしたものが血となり肉となる」という部分は、鶴見の「思想の原則」に呼応している。

活字に書かれた原則をうけいれるようではありたくない。
自分の舌とかペンとかだけではなく、不随意筋の動きを考えにいれた哲学をつくりたい。
自分の思想をつくりだす原思想と、しっかりかみあう思想をつくることが問題だ。(鶴見俊輔


上記の朝日新聞の引用部分は医師・徳永進との対談後の心証を書いた短いエッセイだが、徳永との出会いを鶴見は次のように語る。

 1970年、大阪で万博がひらかれた。その前年、大阪の大阪城公園に行くと反戦万博があって、そこに小屋がひとつあり、その前に20歳くらいの青年が番をしていた。
 よく見ると、小屋ははがきで張りつめられていて、ひとつひとつに、ハンセン病患者の望郷の思いが書いてあった。
 この小屋の番人が徳永進で、京大医学部の学生だった。それからほぼ40年、彼は当時の志を貫いている。

僕はこの徳永の講演を2回ほど聞いている。2回目に聞いたのは大阪の南御堂会館で行われた「らい予防法廃止」に関連したシンポジュウムでのことだった。
その講演で、徳永は医学生時代に「らい」が感染性が低いことを証明するために、師匠の教授が患者さんの体液を舐めたエピソードを披露した。こいう師匠を持てたことは僥倖だと思う。この教授も日々の診療での「まなびなおし」があったからこそ、患者に寄り添うことができたのだろう。そのことが徳永に伝わったに違いない。

その徳永は対談で、自分の父親の最期のエピソードを紹介している。

私の父は大学の先生だったが、がんで寝たきりになったある日、「きょうは死なんけどな、誰かそばにおってくれえ」といった。最後が近づいたとき、好きな酒を吸い飲みで飲ませると「うまい」といって夜中の2時に亡くなった。一人で死ぬのはつらいぞ、お前もこうなるのだぞと家族は教えられた。死ぬとときは家族でなくても誰かがそばにいることが大切。「伝える」のではなく「伝わる」ということがある。(太字の強調は引用者による。)

これに対して鶴見の応答。

カトリックは共有、聖餐式を指す「コミュニオン」ということばを大切にする。最後の晩餐でキリストはパンとブドウ酒を弟子に分け、しぐさで意思を伝えた。これが教会のミサの形になった。花を持った釈迦の意図をくみ取った一人の弟子がほほ笑んだという「拈華微笑」(ねんげみしょう)も同じで、最後は言葉を超えるんだ。コミュニケーションの前にコミュニオンがある。

上記の鶴見の指摘は、ある意味では鶴見の保守性を表象しているだろう。だがそれは鶴見の「銭湯民主主義」(鶴見流のアナーキズムとも言えるだろう)*1や、「共同体」観*2にも通じる。
「伝わる」ことには「伝える意思」と「受けとる意思」のネットワーク(共同体)が暗黙の前提とされているから、伝わるべくして伝わるのだろう。このネットワークのことを「共有」とも「愛」とも「友情」とも「連帯」とも……そのヴァリエーションはさまざまだろうが、そのキモは「われわれ」感情に尽きるように思う。
この「応答」は義務であって義務でないような、まさに「内発的な義務感」として潜在的に感応する機微に関わっているように思える。

この「内発的な義務感」を、ナショナリズムに応用すると二様に現れてくる。
一つは「対抗的ナショナリズム、もう一つは「排外的ナショナリズムである。小熊英二の『民主と愛国』で解かれた「愛国」は、前者の「対抗的ナショナリズム」であった。
しかし「対抗的ナショナリズム」は従属からの解放(植民地解放や革命)として「われわれ」を奮起させるが、その後に甘美な「われわれ」を解除し得るだろうか? 「国民国家論」や「国益論」だけでは、「われわれ」の防衛のためにリアルに「排外的」にならざるを得ない場面に突き当たるだろう。
だが、こうも考えられる。
「われわれは、われわれに尽きない」という「まなびほぐし」を得て、「われわわれ」を脱構築するとき、「国境」を超えた「応答可能性」の現実性が発揮されるのではないか。
このことは、改悪前の「教育基本法」の精神にも関わっている。*3

*1:http://d.hatena.ne.jp/kuronekobousyu/20051205http://d.hatena.ne.jp/kuronekobousyu/20050928を参照のこと。

*2:鶴見の説く「郷土主義=パトリオティズム」はナショナリズムに対抗する。

*3:F さんからのコメントを追記。『こんにちは。コリアNGOセンターが「改訂教育基本法成立にかかわっての声明」を発表しています。http://korea-ngo.org/minzoku/4061216.htm民族主義」の立場から、私は反対するつもりです。でも「民族」も普遍的なものではありませんので、国家が「国」という「方便」を持ち出してくるなら、私も対抗して「方便」として使用するつもり、のみです。』 Fさんの見解→ http://d.hatena.ne.jp/F1977/20061231/1167529567