死刑執行に抗議する。


今年一年は被害者感情の高まりを助長する報道が、特にTVには多かった。これはまさに事実報道から、視聴者の感情に訴える劇場型報道と言えるだろう。
被害者・遺族の方々の哀しみや怒りの感情の救済あるいは人権は当然にも尊重されるべきだが、そのことと極刑によって被害者感情が癒されるかということとは別のことだ。
ましてや国家権力による死刑執行に被害者感情が回収されることはあってはならないと思うのだが、とりわけTVの報道は被害者・遺族の方々の復讐心を煽る報道に偏向して、繰り返し扇情的に被害者・遺族の方々の死刑を求める声を放映してきた。この方たちの切実な気持ちは否定しようもないが、その気持ちが被害者・遺族の方々のすべてでもなく、また死刑制度を正当化もしないと僕は考える。
そしてこの報道姿勢には、真実の追及、被告の裁判を受ける権利や冤罪の可能性を顧慮させないような感情操作が働いている。つまり「死刑しかない!」という憎悪の増幅と反復が仕組まれているのだ。
またこの感情操作は「応報的司法」を当然化し、被害者・加害者・地域社会の関係修復を目指す「修復的司法」の可能性を、あらかじめ疎外/阻害しようとする欲望に充ちている。
★「修復的司法」については、ここを参照。


僕が死刑制度廃絶運動を支持する理由は、以下の通りだ。


①裁判による冤罪の可能性は、常に否定できない。
②如何なる人も、その生存の可能性を否定されてはならない。
③以上の理由から、公権力に死刑を執行する権能を認めてはならない。


以下、転載する。

本日、秋山芳光さん、藤波芳夫さん、福岡道雄さん、日高広明さんに死刑が執行されたことに対し、強く抗議する。
 日高広明さんは控訴せず一審で確定しており、三審まで裁判を受けておらず、十分な審理がなされていない。秋山芳光さん、藤波芳夫さんは部分冤罪を訴え、再審請求を行っていたが、いずれも本年1月に棄却され、次の再審の準備中であった。
 死刑確定から約20年の秋山さんは77歳、藤波さんは75歳という高齢で執行された。これらは、高齢者に対する死刑の執行を禁止し、死刑に直面させられている人に十分な権利保障を求める国際基準に反するものであって、強く抗議する。
 また、過去6年は一度に1〜2名の死刑執行であったにもかかわらず、今回は4名という多数の執行であり、1人の法相が一度に4名の死刑執行を行ったのは97年8月の松浦功法相以来である。これは杉浦前法相が命令書に署名しなかったため昨年9月以降死刑執行が行われていなかったことを真っ向から否定するかのような行為であって、およそ許されるものではない。また、最近の常軌を逸した厳罰化の流れの中で、03年までは年間2〜7人だった死刑確定者が04年は14人、05年は11人、本年はすでに19人と激増し、確定者は100人に達しようとしている異常な状態を更に加速させようとするものであって不当である。さらに、今回の死刑執行は、国会閉会中で、しかも26日の名張毒葡萄酒再審請求事件の異議審決定の前日という日をあえて選んで行ったものであり、極めて政治的に行われた死刑執行である。
 死刑は、残虐な刑罰であり、民主主義の理念に真っ向から反するものである。死刑には犯罪抑止効果がないばかりか、かえって、社会の倫理観を荒廃させる。死刑に必ず冤罪があることは、免田事件、財田川事件、松山事件、島田事件の再審無罪で証明されたところである。死刑は直ちに廃止されなければならない。
 死刑廃止は国際的な潮流であり、すでに世界の3分の2以上の国と地域で死刑は廃止されている。日本は、国連や欧州連合など国際社会から強く死刑廃止を求められている。今回の死刑執行はおよそ許されるべきものではない。
 死刑は安倍内閣の再チャレンジという政策にも真っ向から反するものであり、今日の執行は安倍内閣の欺瞞性を暴露したものである。
 われわれは、日本政府および法務省並びに法務大臣に対し、今回の死刑執行に強く抗議するとともに、直ちに以下の施策を実施するよう求める。

1 死刑の執行を停止し、死刑廃止に向けて努力すること。
2 死刑に関する情報を公開すること。
3 死刑確定囚に対する処遇を抜本的に改善すること。
4 犯罪被害者に対する物心両面にわたる援助を拡充すること。


2006年12月25日


  死刑廃止国際条約の批准を求める
              フォーラム90

修復的司法とは何か―応報から関係修復へ

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