<虚偽意識>誰が、代執行をしたのか/させたのか?

労働者同士*1を分断して「偽の敵対空間」を出現させているのは当局ではあることは間違いないのだが、支援者らの呼び掛けに応えて市職員らが職場放棄するという「奇蹟」は起こらなかった。このことの意味は大きい。自分が同じ立場に置かれた場合の想像力をもって、自らの問題としても反省しなければならないと思う。
http://d.hatena.ne.jp/kuronekobousyu/20070206

と2月6日のエントリーで書いたが、このことについてさらに考える。


当日の代執行に職務命令で来た職員の中には内心では執行に反対しているが、自分だけが拒否しても替わりの誰かが代執行に駆り出されるだけだから、事態は変わらない……と諦めて命令に服従した者もいるだろう。または当日は有給休暇や理由を付けて代執行に参加せず、「嫌な仕事」を避けた者もいるかも知れない。*2
察するに、あの場に来ている職員は相当の覚悟をもって来たか、あるいは何も疑問も持たずに来たかのどちらかだ。だから野宿労働者・支援者らと職員が話し合うということも、職員が呼び掛けに応じて職場放棄(職務放棄)するなどと期待するのは、あまりにも世間を知らないナイーブな考えだ、という反論があろう。
それはそうかも知れないが、ハナからあり得ないことだろうか。

地方公務員法32条」によれば

職員は、その職務を遂行するに当つて、法令、条例、地方公共団体の規則及び地方公共団体の機関の定める規程に従い、且つ、上司の職務上の命令に忠実に従わなければならない。http://www.houko.com/00/01/S25/261.HTM

とあるが、いっぽうで「職務命令に重大かつ明白な瑕疵がある場合は、無効であるから従う必要はない」という見解がある。

そして「行政代執行法」によれば

第2条 法律(法律の委任に基く命令、規則及び条例を含む。以下同じ。)により直接に命ぜられ、又は法律に基き行政庁により命ぜられた行為(他人が代つてなすことのできる行為に限る。)について義務者がこれを履行しない場合、他の手段によつてその履行を確保することが困難であり、且つその不履行を放置することが著しく公益に反すると認められるときは、当該行政庁は、自ら義務者のなすべき行為をなし、又は第三者をしてこれをなさしめ、その費用を義務者から徴収することができる。
http://www.houko.com/00/01/S23/043.HTM

とあり、黒字で示した箇所に注目してみよう。この部分は重要な部分で、代執行を認める場合の必要条件だが、今回の事例に当て嵌めてみよう。

野宿労働者たちは、①「他の手段」について「代替地」を要請し話し合いを求めていたのであるから*3「他の手段によつてその履行を確保することが困難」であったとは客観的に言えない。かつ②生存権基本的人権であることから、私有地ではない「公園」の一角で公園利用者に配慮しながら生活していたことが「著しく公益に反する」はと認められない。
この二つの論点において、今回の「職務命令」は「重大かつ明白な瑕疵がある」ことから、職員は従わない権利があると言えるのではないだろうか。
少なくとも、当日の代執行を職務命令された職員はこの二点を問題提起することができ、市職労もその問題提起を受けて市長に抗議し全職員に対しては職務不服従を示唆することはできたはずだ。*4

そしてすべての市職員がこの代執行業務を拒否すれば、そのとき市長としての権能は事実上失墜しているのであるから「代執行」としての実効性も失われたと見てよいだろう。そうなれば、野宿労働者と市職員労働者が「偽の敵対空間」を構成することもなかった。

また、反対署名した5000名の市民が長居公園に全員支援者として駆けつけてテント村を包囲したら、いや大阪市過半数の市民がこの代執行の不当性を告発したならば、事態は変わっていただろう。
だが、そうはならなかった。なぜなのか?


ここから、考え始めよう。
代執行は、圧倒的多数の市民が「野宿者問題の無知と無関心」から消極的にしろ支持した結果、行われてきた。一部の市民を除けば多くの市民は積極的には野宿労働者を<排除>することを支持しなかったと抗弁するかも知れないが、<排除>を批判しないことや無関心であることによって結果的には荷担したと言えるだろう。
そして多くの市民は野宿者を自分たちと同じ隣人・生活者・労働者として見ることができず/せず、「社会生活の逃避者」*5というレッテルを貼り付けてその姿が公園や街から見えなくなることだけを望んだのである。
そのことが野宿者の生存の危機と引き替えだという自覚もなく……。
誰が、代執行をしたのか/させたのか?
それは「私ではない」と言うならば、それは虚偽意識だ。

また当日の代執行には、民間のそれも臨時雇用と思しき(その意味では野宿労働者と同じ立場か、それに近い)ガードマンや作業員が動員されていた。
彼らは、なぜこの仕事を断らなかったのか? 当日の仕事内容を把握していなかったとしても、現場でその内容を知った時点でこの不当な仕事を放棄することはできなかったのか?(その前に、そのように権力によって仕組まれていることを怒るべきだという意見は、あまりにも当然だが……。

この問いは、とうぜんにもそのように問い質す者にも矢のように撥ね返ってこよう。


僕らの生は虚偽意識なしには生きていられない。そして「偽の敵対空間」に生きることを強いられていると暴くことは、もはや困難ではない。そんなことは、みんなとうに知っている、とさえ言うだろう。だから承知の上で、職員も民間人も「命令」や「仕事」を引き受けているのだ。それが渋々であろうが、あれやこれやの「言い訳」で自分を合理化して自発的に服従しているのだ。ここに、「虚偽意識の二重化」がある。

この身体にへばり付いた虚偽意識を一枚一枚と剥ぎ取ってゆくことは、不可能なことだろうか。虚偽意識を対象化(自覚)するだけではダメだ。「剥ぎ取る」という実践の遂行性こそが、それを可能にする。躊躇しながらでも、とにかく行動を起こすことである。そうすると出来ないと思っていたことが、存外に容易いことだったことがわかるかもしれない。むろん一挙にすべての虚偽意識を剥ぎ取ることは容易くないし、それはあり得ないとも言うべきだろう。
だが「偽の関係」が「偽」である限り、その虚偽意識を身体から剥ぎ取ることは可能だと言えるし言うべきだ。

*1:野宿者を、低収入のために野宿せざるを得ない「労働者」と捉える観点が重要である。

*2:ファンクな抗議FAXもあったそうだ。

*3:長居公園行政代執行に対する研究者声明「行政代執行に対する当事者による申入書」]参照。

*4:法学者・弁護士・司法書士による抗議・要望書も参照。

*5:「野宿者にとっての「自立」」参照。