<特別連載「戦争責任/戦後責任を考える」(1):いざとなったらこれで死になさい>へのコメント
先ほど、野原燐さんの上記の論考へ黒猫房主がコメントしましたので、再録します。
野原燐さんの論考はこちら。→http://kujronekob.exblog.jp/1898823/
曾野綾子の狙い(A氏の遺族も?)は、「皇軍」が「天皇ための軍隊」であって、臣民(国民)を守る使命が原初からなかったことを隠蔽することだろう、と思います。
当のA氏がどのように責任を感じていたかは「語り得ない」ですが、政治的責任を「内なる問題」として追及すべきだとは思います。
『私の戦後は終わらない――遺されたB級戦犯妻の記録』(小林弘忠・紀伊國屋書店)の書評で、上野昂志は「……戦後六十年間は、夫が落ち込んだ時代の罠というべきものに、妻もまた捉えられてきた。(……)しかし、本田タネは、それをもって「戦争が悪い。みんな戦争のため」とは決していわなかった。本田自身も、戦争に荷担したことは否定できないからだ。そして、本田始はもまた、それを沈黙をもって受け入れた。(……)収容所内の罪を自己の責任として引き受けようとした彼の覚悟というべきものが読み取れるが、戦後という時代は、そのような本田始の沈黙の意味を、まともに受け止めてきただろうか」と結んでいます(「週刊朝日」2005,8.12号掲載)
妻タネは右腕が効かない夫が、たとえ捕虜を殴ったとしても、それほど酷いことはできないはずだという思いもあって、戦犯裁判に希望をつなぐ。しかし、裁判で問われたのは福岡俘虜収容所第一分所で所長と二名の上等兵と監視員本田だが、死刑判決を受けたのは、一番下っ端の本田だけっだった(この点について、上野昂志は「自分の罪を軽くするために、他人に罪をかぶせる」という内部告発が多かったことを指摘している)。
連合軍による戦犯裁判の不当性(と限界性)BC級戦犯の冤罪の可能性は高いと思うが、問題なのは、日本国が自らによって戦争責任を問えていないことがよりいっそうの「巨きな悪」であると思います。
★追加事項★いわゆる「東京裁判」の不当性と限界とは、さまざまな政治的利害と配慮によって、きちんと戦犯裁判が行われていないことである(荒井信一『戦争責任論』岩波現代文庫、林博史『BC級戦犯裁判』岩波新書、参照)。
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