第39回釜ヶ崎越冬闘争の御案内/釜ヶ崎越冬闘争実行委員


第39回釜ヶ崎越冬闘争の御案内/釜ヶ崎越冬闘争実行委員


遅まきながら、第39回釜ヶ崎越冬闘争の御案内をさせていただきます。派遣労働者の解雇や雇い止めが、連日、報道されるその影で、ここ釜ヶ崎も凍てつく状況です。右肩下がりの求人状況がここ3ヶ月で前年比2割から3割減。仕事にありつけない労働者の生活の糧であるアルミ缶買取価格も、北京五輪時と比較して7割近い下落。世間で言えば、30万円の収入がいきなり、9万円となった。日給1万円が3千円にさがったということです。大阪市による南港の臨時宿泊施設も期間が短縮されてしまいました。その受付が明日29日と30日です。現在の経済状況を受け、今回の越冬は予測がつきませんが、年末、年始のこの時期、可能な限りの気力と体力で闘う心積もりですので、皆様方のご参加と支援をぜひ!!

 釜ヶ崎越冬闘争実行委員 阪口 エキン



第39回釜ヶ崎越冬闘争
―今こそ、安心して暮らし働ける釜ヶ崎を!!―


第39回釜ヶ崎越冬闘争に参加を!!
―来たれ若人よ。心優しい人たちよ。―
気がつけば、今年も残すところ僅か。世間では年末のあわただしいこの時期、ここ釜ヶ崎では越冬闘争の到来を意味します。釜ヶ崎越冬闘争は大阪万博が終わった1970年の冬季に始まり、以後、幾多の問題や弾圧を乗り越えながら、39年間、一度たりとも途切れることなく闘われ続けてきました。越冬闘争の基本スローガンは「ひとりの餓死者、凍死者も出さない」というきわめてシンプルなものです。この地区の現状を知らない多くの人々にとって「何だ。当たり前ではないか。それは、戦争や旱魃に苦しむ、海外の話で、ここ日本ではあり得ない」とお考えになる方が多いのかも知れません。しかし、実際に、ここ大阪市だけで年間200人を越える人々が路上で亡くなられています。この人数には、病院に搬送されて24時間を経過した者の数は含まれていません。2000年のデータによる調査結果によれば、亡くなられた方々の平均年齢は56.2歳。死亡時の所持金は500円未満の者が半数を超え、死因には餓死17名、凍死が19名含まれ、死因の全項目で全国平均を大きく上回り、ことに結核による死亡は全国平均のおよそ44倍、自殺は6倍を超える値です。
これらの事実を見れば、越冬闘争にある“闘い”との言葉が決して大げさではなく、冬を越すことに限っても、現実ある言葉として受け取っていただけるかと思います。

釜ヶ崎越冬闘争は、年末から年始にかけて、毎食の炊き出し、夜間の医療パトロール、地区内の臨時宿泊地での布団敷き、地区外の人々に越冬闘争への参加を呼びかける人民パトロール、そして釜ヶ崎に暮らす労働者や日本の発展基盤を支え続けたかっての労働者を中心とした越冬まつりを基本に据えて成り立っています。

当実行委員会は、スローガン実現に近づけるよう、越冬闘争準備の為の話し合いを11月中旬より毎週行っています。メンバーは、釜ヶ崎地区内にて、労働組合運動や医療支援、野宿者支援活動をする諸団体や諸個人が中心ですが、まだまだ人手が不足しており、特定の個人に過度の負担が掛かってしまっているというのが現状です。越冬闘争へは、この地区の現状を理解し、その為に何か行動を起こしたい、お手伝いしたいという気持ちがあればどなたでも参加できます。今回の越冬を機会に、御互いの想い、知恵を出し合い、共に越冬闘争を創って行きませんか!! 老若男女、幅広く、皆様方の参加を呼びかける次第です。


釜ヶ崎越冬闘争とは、
万博景気が終わり、物価の上昇と年末の仕事の減少が日雇い労働者の生存を圧迫していた1970年末に、有志たちが“釜ヶ崎越冬対策実行委員会”を結成し、労働者の衣食住の問題に取り組んだことにより開始される。第1回越冬闘争は花園公園を拠点に開始された。
1975年には越冬拠点公園テント村への、大阪市と警察、機動隊による取り壊し(行政代執行)、1978年の地区内三公園の全面封鎖に代表される、行政、警察、暴力団が一体となった越冬闘争への弾圧。その間、多くの逮捕者、犠牲者を出しながら、39年間、一度たりとも途切れることなく闘われ続けている。


釜ヶ崎越冬闘争の実際
越冬闘争は、期間中、“ひとりの餓死者、凍死者も出さない!!”を目標に、三角公園と医療センター前を拠点に、連日の“炊き出し”、市内各所で野宿を余儀なくされている労働者を激励し、闘争への参加を呼びかけると共に、街行く市民に釜ヶ崎の現状を訴える“人民パトロール”、そして、毎晩地区内や周辺をまわり、野宿を強いられている労働者の安否確認を行う“医療パトロール”、厳しい現実の最中にあってこそ、労働者、支援者、性別、年齢、人種を問わず、心をひとつにして繋がっていくための“越冬祭り”を基礎に闘われます。これらの活動は、労働者や支援者、有志たちによるカンパと手弁当によって行われ、越冬最終日の大阪府・市への「お礼参り」と名づけられた抗議・申し入れ行動で締めくくられます。本年(第三十九回)越冬闘争の特徴は、闘争スローガンである“今こそ、安心して働き、暮らせる釜ヶ崎を!!”の思いを胸に、越冬闘争の原点へと立ち返り、この地で暮らす労働者にとって有意義な衣食住および医療活動などの告知に多くの時間を割いています。ここ近年の越冬闘争には、多くの音楽家たちの参加があり、その結果外部からの来訪者も飛躍的に増加。本年越冬闘争に即して言えば、11月初めより毎週火曜日にふるさとの家で実行委員会の話し合いを持ち、準備を進めてきました。実行委員会の扉は、越冬闘争の意義を理解し、出来る事を手伝いたいの思いさえあれば、誰にでも開かれています。また越冬闘争終了後も事務局会議を設けて、通年を通して話し合いの場を設けていきます。今回の越冬体験を機に、ぜひ、皆様の御参加を!!


●第39回釜ヶ崎越冬闘争の活動内容と日程
●医療センター前布団敷きと警備  12月28日〜1月5日まで毎日夜7時から翌朝5時まで
野宿をする仲間の大きな心配事の一つに、酔っぱらいの嫌がらせや若者の遊び半分での襲撃から身を守らなければならない、ということがあります。遊び半分で道頓堀川に放り込まれて溺死した藤原さんや天王寺で殺害された小林さんなど以外にも後を絶ちません。(参照http://www1.odn.ne.jp/~cex38710/attackchronicle.htm)そこで酔っぱらいが多い年末年始の越冬期間、安心して寝られる場所の提供と言うことで、大阪社会医療センターの軒下で集団野営、野外で布団を敷いて寝ています。
時間は午後7時から布団敷きを始め、医療パトロールで運び込まれてくる仲間を含め朝5時までの不寝番をします。酔って路上で寝込んでしまった仲間や、野宿中に具合の悪くなった仲間などを野営場所につれてきたりしながら夜を明かし、一部のメンバーはそのまま5時から7時までのセンター情宣、日刊越冬の配布に参加します。
正月を迎えると支援者の参加が落ち込み人員不足で厳しくなりますが、「なかま内から一人の餓死・凍死者も出さない」越冬闘争の基本中の基本となる活動ですので決して欠かすことの出来ない活動です。手伝い可能な方は、ぜひ参加。協力をお願いします。 


●人パト 12月30日〜1月3日、夜8時〜10時位まで
 人民パトロールとでも言いますか、越冬闘争に参加してくれる労働者、市民、宗教者、学生など様々な支援のみなさんと釜ヶ崎の仲間たちみんなが集まって行うパトロールです。地区外のいたるところで野宿を強いられている仲間たちに釜ヶ崎では越冬闘争が行われていること、そこでは、炊き出し、寝床、医療・労働などの相談活動、「越冬まつり」をやっていることを伝え、カイロや食糧などの支援物資をわたしてゆく活動とともに、越冬闘争にともに参加し声を上げていこうと呼びかけます。年末・年始の楽しげに着飾った市民社会の街中では奇異な活動に見えるかもしれませんが、誰もが新たな年を迎え心躍る「お正月」を失業し、野宿で迎えざるを得ない労働者たちがいるのも事実です。
 三角公園の“越冬まつり”終了後に呼びかけを行い、大阪市内の各地へと向かいます。ぜひ御参加を!!


●資材管理
越冬闘争の目にはつきにくい裏方の仕事です。ですが、必要な資材がなければ、越冬は行えません。越冬で使う毛布や布団のカンパを要請し、集めること、越冬闘争の第二の拠点=三角公園で、仲間たちが暖をとるためのたき火や、炊き出し用の薪を調達し、当日はたき火の管理をしています。越冬闘争の準備期間12月に入った頃から動き出します。
協力団体 釜ヶ崎日雇労働者組合、釜ヶ崎支援機構


● 南港臨時宿泊所受付相談と監視行動
越冬闘争における先人たちの闘いによって、年末、年始の職がなく生活の苦しい期間、大阪南港に臨時宿泊所が設営されます。この申し込み受付が地区内にある市立更生相談所にて行われますので、行政による不当な申し込み拒否がないように監視行動、そして労働者からの相談とアンケートを行います。29日、30日朝。集合市立更生相談所前にて 実行委員 阪口まで 連絡を 080−6101−5281


●医療パトロール
野宿する労働者の安否を気遣いながら、地区内外を夜回りします。緊急の場合には医療機関に連絡を取りますが、その他の場合は、集団野営地と連携を取りながら活動を行います。越冬期間中12月28日から1月7日まで毎夜9時45分から11時半まで 集合場所 医療センター前 午後9時45分までに
協力団体 わてらと釜ヶ崎


● お礼参り
行政の仕事始めである1月5日(月)の朝に、三角公園にて参加者全員で朝食を頂いた後、勝利号と名づけられた大型バスにて、大阪市・府へと向かい、要求書を提出します。集合場所は7時に三角公園


●炊き出し
“高齢労働者の仕事と生活を勝ち取る会”の協力により、12月28日夜から1月8日まで毎日、三角公園にて炊き出しが行われます。以下、炊き出メニューと日程。
12月28日(日) 越冬突入集会 おにぎり配食
   29日(月)11時30分 野菜どんぶり
   30日(火)11時30分 カレーどんぶり
   31日(水)11時30分 野菜どんぶり
         18時00分 年越しそば+おにぎり
  1月1日(木)11時30分 かす汁+おにぎり
         18時00分 親子丼
    2日(金)9時〜12時まで、もちつき大会(つけもち、ぞうに、ぜんざい)
    3日(土)11時30分 木の葉どんぶり
         18時00分 沖縄そば+おにぎり
    4日(日)11時30分 野菜どんぶり
    5日(月)朝 味噌汁+おにぎり (お礼参り参加者のみ)
         11時30分 野菜どんぶり
    6日(火)11時30分 野菜どんぶり
    7日(水)11時30分 野菜どんぶり
    8日(木)11時30分 カレーどんぶり
    9日(金)なし
    10日(土)11時30分 野菜どんぶり
    11日(日)なし
    12日(月)11時30分 野菜どんぶり
(※炊き出しのメニューや日程は変更の場合があります)
協力団体 高齢労働者の仕事と生活を勝ち取る会

 
●越冬祭り 12月30日から1月3日 開始時刻から夜8時まで
三角公園にて焚き火を囲みながらの、恒例のど自慢大会ともちつき大会。体も少しは動かそうとの卓球大会にソフトボール大会。そして、本年は新たに、何かひとこと言わせろよとの一言発言大会、新年書初め大会も加わり、演歌、フォークからロック、ジャズ、ブルース、ラップそしてエイサーまで心ある音楽家たちの演奏も盛りだくさんです。そして、労働者が主人公との原点に立ち返り、釜ヶ崎の暮らし役立ち情報(労働、福祉、医療など)の告知も行っていきます。
以下、日程詳細



担当 釜ヶ崎文化体育班 協力団体 NPOここルーム、NPO釜ヶ崎医療連絡会議、野宿者ネットワーク


釜ヶ崎越冬闘争への資金・物資協力のおねがいです

資金協力のお願いです
越冬闘争を闘っていくにあたりお願いがあります。
 越冬闘争終了後に会計報告を会計明細を報告させていただきますが、一回の越冬闘争で、約70〜80万円の資金が必要となります。
 現在、越冬実には30万余円の残金しか手持ちがなく、非常に財政が逼迫しております。
厳しさを増す、現在の経済状況にあって心苦しい限りではありますが、釜ヶ崎の運動、取り組みに関心を寄せる多くの支援のみなさんに、資金協力をお願いしたく思います。
さんの資金協力を、ここにお願いする次第です。よろしくお願いいたします。


 【振込先】みずほ銀行 難波支店  普通口座 1387094
  釜ヶ崎実行委員会 代表 山田 実


物資の協力をお願いします
 越冬闘争を闘うには、次のような多くの物資が必要になります。
 ★毎日の炊き出しに使う、米、野菜、その他の食料
★寝場所とか、医療パトロールで使う、布団(敷布団、掛布団)、毛布類
★衣類(成人男性用で、防寒着、セーター類、下着、靴下など)
★その他、石鹸、タオルなどの日常生活用品


越冬闘争の趣旨をよくご理解いただき、多くのみなさんの物資協力を、ここにお願いする次第です。よろしくお願いいたします。


【物資の送付先】
(〒557-0004)大阪市西成区萩之茶屋1−9−7
        第37回釜ヶ崎越冬闘争実行委員会(代表 山田 実)
    電話:06−6632−4273


越冬闘争には実行委員である個人有志の参加に加えて、以下の諸団体の御協力により闘われています。 NPO釜ヶ崎支援機構、釜ヶ崎キリスト教協友会、NPO釜ヶ崎医療連絡会議、釜ヶ崎日雇労働組合、野宿者ネットワーク、わてらと釜ヶ崎NPOここルーム、高齢者の仕事と生活を勝ち取る会


※越冬闘争を手伝っていただける方は、各活動の集合場所にちょくせつ集まって頂くか、下記までご連絡ください。その他、越冬に関してのお問い合わせは
第39回釜ヶ崎越冬闘争実行委員会事務局
電話06−6632−4273 携帯080−5305−6996 代表 山中
または080−6101−5281 阪口まで