「カルチャー・レヴュー」62号

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■目 次■
◆連載「マルジナリア」第14回:無縁とコモンズ――政策民俗学序説-----中原紀生
◆連載「メディアななめよみ」第4回:ワールドカップはすでに始まっている
 -----山口秀也
◆INFORMATION:第63回「哲学的腹ぺこ塾」
◆黒猫房主の周辺「信と不信」-----黒猫房主

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■黒猫房主の周辺「信と不信」■

★さいきん読書会の縁で親鸞の『歎異抄』を読んでみた。しかし信仰をもたない者は、この『歎異抄』で説かれている「信仰のパラドックス」を文学的にしか理解できない。だが、信仰者は信仰が深まれば深まるほど信仰への疑問が湧いてくるのではないだろうか。菅谷規矩雄は「思想としてみれば、<信>とは、その内部によびこんだ<疑>の深さにほかならない――そして、<信>が、みずからそのそとに告げることができるのは、その点につきる」と書いている。『歎異抄』で唯円の問いに応じた親鸞の姿は、そのようであったのだろう。その<疑>の深さが底まで達したとき、<信>はそのそとの<不信>と通底するかもしれない。(黒猫房主)