研究集会<死の法>

立岩真也さんからの集会のご案内を転載します。

研究集会<死の法>
――尊厳死法案の検証――
 ◆主催:安楽死尊厳死法制化を阻止する会+良い死!研究会

 ◆2006/03/25(土) 12:30〜17:00 (開場12:00)
 ◆場所:国民生活センター1階大会議室
  JR・京浜急行 品川駅高輪口(西口)下車徒歩5分
  東京都港区高輪三丁目13番22号 〒108-8602
  http://www.kokusen.go.jp/hello/map_tokyo.html
 ◆資料代:1000円

 ◆12時30分 開会の挨拶+経過報告 清水昭美
 ◆12時45分 光石忠敬(みついし・ただひろ)氏*講演
  「人間の尊厳およびこれに基づく人権からみた尊厳死法制化案について」
  +質疑応答・議論
  *日本弁護士連合会人権擁護委員会医療部会特別委嘱委員
   「尊厳死(仮称)法制化を考える議員連盟」(2005.11.30)のヒアリングで意見を述べられました。
   「意見書――「尊厳死に関する法律要項案」、「尊厳死の法制化に関する要綱骨子案」について」→掲載承諾が得られしだい掲載いたします。
  (15分休憩)
 ◆14時45分 立岩真也「確かにおかしなこと幾つか+」
  +質疑並びに会場からの意見発表など
  16時30分 閉会の挨拶

安楽死尊厳死法制化を阻止する会」は、こちら→ http://soshisuru.fc2web.com/
「良い死!研究会」については、http://www.arsvi.com/0a/y01.htm をご覧ください。
「良い死」というのは、もちろん「尊厳死」に対する批判ですね!
「良い死/悪い死」があるとして、誰が決めるのだろうか?
「国家」/「希少資源」のために、「死ぬこと」は「良い死」なのだろうか?
何の役にもたたず(?)唯だらだらと生きながらえることは、「良い死」に反しているのだろうか?
ニート」の定義(への批判)やその在り方への批判等々あるが、「働きたくても働けない」あるいは「働きたくない(その理由は様々であるとして)」人の存在は、新自由主義の思想では肯定されないようだ。
しかし、存在するということにおいて「有用性」とは何だ? そしてすでに「有用性」を問うこと自体/事態が、「有用性」という価値の支配下に囲繞されている。それが更に問われるべきだと思う。