「安保」破棄と平和構築


今晩(4/25)のETV特集「本土に問う〜普天間移設問題の根底〜」(http://www.nhk.or.jp/etv21c/backnum/index.html)は、大田元知事を中心に問題の本質をよく突いていたと思いました。
要するに、日本「国民」(特に本土民)は「日米安保」をどう始末するのか/しないのか、ということである、と私は思う。
(★追記★この始末するか否かの問いの背景には、昭和天皇が反共シフトと天皇制護持のために沖縄に米軍の駐留をマッカーサーに要請したこと、そのことに本土の「国民=主権者」も大半が迎合し、いわば無意識に沖縄を本土=日本の植民地にした/している、ということが挙げられる。)
昨今のマスコミの論調が前提として「日米安保」ありきでその前提を検証することをしないが、「日米安保/同盟」を破棄して国内から米軍基地を全廃するのか、それともこのまま米国国家戦略に従属して米国の顔色を見ながら生きててゆくのか?

主体的に非戦の外交戦略をもって、つまり憲法9条を前面に押し出しかつ「国を開いて」アジアの平和(安全保障)を構築する道を選択すべきだと、私は思う。
こういう趣旨のことは、すでに『三酔人経綸問答』において中江兆民が「洋学紳士君」に言わせていることなのだが、兆民が凄いのは国家としての自衛権すらも否定していることだ。
つまり、非武装・無抵抗の徹底である。これこそが、ラジカル(=根源的)な安全保障=平和論である。この「無抵抗」とは「風のようにしなやかで勁い抵抗」でもあろう。