「左翼とはなにか」]にコメント

★日付を改めて、追加記述を含めて掲載します。

なお、t-hirosakさんが続いてのエントリー「左翼とはなにか」に僕がコメントしたので、このブログにも転載しておきますが、まずはt-hirosakさんの全文をお読みください。

今回のエントリーのほうが本質的かつ論争的で、より面白いですよ。



>見かけがどうであろうと、近代国家・近代市民社会への原理的な批判がその発想の根底に不可欠のものとして含まれている思想は左翼的である。そう言ってよいと思う。
(太字はt-hirosakさんの発言、以下同様)


僕もほぼそのように考えています。よってその原理的批判の発想をもたない、「ただもの主義」や「リベラル」は、「保守」という位置づけになりますね。
しかし総じて「近代主義」と呼ばれるものが曲者です。マルクスの生産力論は、まさしく近代主義の範疇でしょう? しかし労働と所得の対応関係を断ち切って「富の再配分」の予言(預言)をした「ゴータ綱領」のマルクスは、脱「近代」主義者であった。マルクスおよびマルクス主義と呼ばれる中にも、その矛盾が混在している。ソ連などはその近代主義のなれの果て、「国家資本主義」であって、ヘタを扱いたソ連やその周辺は崩壊した。ソ連があった当事から、まともな左翼や新左翼は、ソ連や中国を「社会主義」とは見なしていないでしょう。



>日本に近代国家を創設した明治国家は右翼の主張の原点なのだろう。


この定義は、どうでしょうか? 「漢心」に対する「やまとこころ」を対峙させた本居宣長の<かんながら>や「国学思想」こそが、「右翼の真髄」というべきではないでしょうか?
鶴見俊輔が明治国家を分析した「顕教」と「密教」に倣って言えば、明治国家の基本枠を創設した伊藤博文らは近代主義者であって、天皇主義者ではない。彼らは大澤真幸ふうに言えば、近代国家をコントロールするために第三審級者として天皇を利用しただけですね。



>だから、彼らの言う「伝統文化」のほとんどが明治以前にさかのぼらないのも当然だったという気がする。


これは「創られた伝統」(E.J.ホブズボウム)という、近代主義でもある「ナショナリズム」のイデオロギーに起因しているようですね。
ただ、ここで「右翼」という潮流それ自体が「近代」の産物であるという論点が出てきますが、この辺は如何でしょうか?
これは「パトリ」と「ネイション」の差異の問題でもありますが……。



★その後の応答を許可を得て、転載いたします。


t-hirosaka 2007/11/24 23:14
コメント、ありがとうございました。
「論争的で、より面白い」とお誉めいただきましたが、実は私、論争はあまり好きではないので、これは、現実には政治的左右の対立という構図はあまり意味をなさなくなったけれども、それでもあえて「反体制」を左翼というならば、このように考えられるかもしれない、というつもりで書きました。
コメントの後半については、今回の私の視点からは、江戸時代における宣長国学は反体制的傾向をもった美学であって、それ自体を右翼思想(体制肯定)とは言えないと考えています。
国学が右翼思想の源泉となったのは、やはり明治以降であって、明治政府の近代化に失望し、それをいわば「裏切られた革命」と見なして近代化の別のコースを期待する人々が現れ、彼らが「維新の原点に立ち返れ」というメッセージをもつにいたって、宣長国学が再発見的に右翼思想の源泉に措定された、と考えます。それは時の政権の政策には批判的であっても、彼らなりに捉えた「維新の精神」、すなわた近代国家の理念に忠実であろうとするわけですから、やはり体制肯定派、すなわち右翼である、と言い得るわけでしょう。
そう考えなければ、現在の右翼が、尊皇は言っても、攘夷を言わない理由がわかりません。
それから、近代以前にも各時代に体制の是非をめぐる議論はあったと思いますが、それを「右」「左」という言葉で表現するようになったのは、あきらかに近代になってからですので、ここでは話題を近代に限定しても差し支えないと思います。

kuronekobousyu 2007/11/25 11:24
返答ありがとうございました。なるほど、勉強になりました。
t-hirosakaさんのコメント欄の応答を当方のブログに転載せていただいても、よろしいでしょうか?
両者のブログをちゃんと読む方は少ないと思いますので(因みに、先の議論でt-hirosakaさんが引用されていた引用元はすべて読んだ上で、僕は応答しております。念のため!)

僕は「右翼思想=体制肯定」という立場はとりません。従って「親米右翼」は僕の考えでは右翼ではない、ということになりますね。
この物言いも、また神学論争になりそうですが……(苦笑)。

t-hirosaka 2007/11/25 11:33
>コメント欄の応答を当方のブログに転載せていただいても、よろしいでしょうか?


こんなのでよろしければどうぞ。

素人ながら、宣長じしんに「漢文化」に対して「やまと文化」という<主体化/同一性>への強い欲望があったと解するならば、すでに宣長は近代人の萌芽を持ち得ていたとう言えるのではないでしょうかね?

野原燐さんのコメントを転載します。

で、右翼については片山杜秀氏の定義はどうですか
1. 「保守」と「右翼=反動」は違う。
2. 反動とは「失われた過去に立脚して現在に異議を申し立てる」こと。
3. 「近代文明の進展の前に失われゆく美しい農村とか、麗しい日本語の響きとか、何を持ち出してきても、いつも、それを天皇と結びつけてしまう」
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20071118#p3