集会&デモに行ってきましたよ。


10月22日の集会&デモの報告は、下記のブログが詳しい。
http://kyokiren.seesaa.net/article/26114852.html

その会場での野田正彰さんの講演から、僕の印象に残った言葉をいくつか拾い挙げてみよう。

・教師への「日の丸」「君が代」強制が神経障害をもたらしているが、これは事実の問題であって解釈の問題ではない。
・その強制からくるストレスに対して、周りが無自覚になってなってきている。
・そのような教師の背中を見て、子どもたちは人格の分裂を巧みにしてゆく。
・仮に基本法が改悪されても、私たちは現行の教育基本法を常に携帯して読み続ける必要がある。
・現行の教育基本法の骨子は「平和教育」と「個人の確立」であるが、政府案は現行法10条の改悪によって国家が教育に介入できるようにしている。

政府案の基本法改悪の問題点を僕なりに要約すると、教育への国家介入を法的に根拠づけること(政府案16条)に主眼があり、教師・親・子どもに連なる私たちの思想・表現の自由を封じ、かつ「愛国心」をもって国家に自発的に服従する態度(批判理性の解体)を「涵養」することが教育の目的とされるていることにある、と思う。

教育基本法だからと言って、一般国民には関係ないと思っていたら大間違いだ。あるいは「教育の荒廃」や「教育の再生」というデマゴギーに踊らせれて改悪の本質を見誤ってはならない。そしてこの改悪が憲法改正への地ならしであって、私たちの思想・表現の自由を抑圧する「共謀罪」とセットになっていることも見据えておかなければならない。

24日のニュースでは「共謀罪」は先送りにして(油断大敵!)、基本法は政府案を修正してでも民主党案に摺り合わせるという報道がなされているが、「愛国心」の文言が「我が国と郷土を愛する」に替わっても、あるいは文言が削除されたとしても、教育への国家介入を認める政府案16条が撤回されないかぎり、「愛国心」や「こころの教育」は如何ようにも復活するのであり、私たちの「思想・表現の自由」は脅かされてゆくに違いない……というか、すでに追い込まれているので追い返さないと、ね!

【政府案】
第16条〔教育行政〕
教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、(中略)適正に行われなければならない。
2 国は(中略)。
3 地方公共団体は(中略)教育に関する施策を策定し、実施しなければならない。
政府案の全文→ http://www.mext.go.jp/b_menu/houan/an/06042712/003.pdf

【現行法】
第10条〔教育行政〕
教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。
2 教育行政は、この自覚のもとに、(中略)必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。

改悪第16条の勘所は、「教育は、(……)他の法律の定めるところにより行われるべきもの」としている文言である。この文言の導入によって、「他の法律」による介入が教育の「不当な支配」にならないということを根拠づけるわけだ。
また2項によって、国家が教育環境の整備確立ではなく、教育内容の施策ができるということだ。
改悪のいちばんの狙いはこの第16条に秘められていると思われる。だから、政府案は第16条を死守できれば他の文言の妥協や削除をすることは、いくらでもあり得るだろう。
そしてすでに事態は、国家が教育内容に政治介入しているのであるが、その端的な事例が「国旗」掲揚や「国歌」斉唱の義務と強制である。
国旗及び国歌に関する法律」では、「国旗」掲揚や「国歌」斉唱の義務や強制の文言は明記されていない。また制定された当時の総理大臣も、強制はしないと国会で言明したにも関わらず、またその法令制定前からすでに現実の教育現場では学習指導要領に「基づく」指導という名の<強制>が罷り通ってきているのだ。因みに学習指導要領は、法令ではない。
そして「国旗及び国歌に関する法律」の制定後は学習指導要領による義務と強制がより強化されている(分限免職等)のだから、これは法律の拡大解釈であり憲法違反は明白であるのだが、この事態はまさに自発的服従の「臣民官僚」がなし得るところの改悪第16条の先取りと言わざるを得ない。
したがって政府案の第16条が制定されてしまうと、当然にも教育への国家介入にお墨付きをつけたことになるのだ。

国旗及び国歌に関する法律

(国旗)
第一条
1 国旗は、日章旗とする。
日章旗の制式は、別記第一のとおりとする。

(国歌)
第二条
1 国歌は、君が代とする。
2 君が代の歌詞及び楽曲は、別記第二のとおりとする。

附則以下、省略
参照: http://list.room.ne.jp/~lawtext/1999L127.html

伊吹文科大臣が就任時に、現行教育基本法はよくできているがどこの国の教育法かわからないから替えるべきだ、という趣旨のコメントを新聞で読んだ。このコメントは逆説的に、国家体制を越える「教育の普遍性」を反証しているように思われる。そしてそれほど「よくできている」法律ならばあえて改悪する必要は、どこの国でもないだろうに。
僕はすべての国家による、教育への介入と愛国教育に反対する!

★平成18年9月26日大臣会見概要(伊吹大臣初会見)より引用
 http://www.mext.go.jp/b_menu/daijin/06100201.htm

記者)
 教育基本法の改正案について、成立時期などを含めてどのような考えをお持ちでしょうか。

大臣)
 教育基本法自体は立派な法律だと思います。しかしこれはアメリカに持っていっても立派だし、ヨーロッパに持っていっても立派な法律なのです。やはり日本という国には日本の文化があり、伝統があり、総理の言葉の中にもあったように、祖先が試行錯誤の中で積み上げてきた社会の規範があります。例えば、人様の世話になることは恥ずかしいことだ、しかし困った人はみんなで助けていく。儲けなければならないけれども、仕入先をいじめて儲けるということはしてはいけない。お得意様に不義理をして儲けるようなことをしてはいけない。古い商家には皆、家訓、家憲というものがあります。これをマスターしていれば、ヒルズ族がああいう事件は起こすということはなかったと思うのです。
 日本は宗教的には非常にゆるやかな国ですから、教会で結婚式をして、子どもが生まれたら神社に七五三のお参りに行き、死ぬときはお寺でお葬式をするという国です。これは日本の、ある意味では宗教的対立が比較的少なかったという歴史の積み重ねのようなものだと思いますが、それであるのになぜ日本人がこれほど勤勉で礼儀正しく、思いやりがある国民なのか、これが外国人にはなかなか分からないのです。
 お札に出てくる新渡戸稲造さんという人が結婚したのはご承知のようにアメリカ人です。その奥さんの、宗教が薄い日本でなぜ日本人はこんなに規律正しくきちっとした日々が送れるのか、という疑問に答えようと思って、新渡戸稲造が英語で書いてあげたのが「武士道」という本です。武士は武士道、商人は商人道、これを日本人が持っていたから、例えば信長の時代に来たスペインの宣教師が母国へ送った手紙によると、自分が会ったどの民族よりも、日本は優しく友好的な民族で、町はどの国の町よりもきれいだ、と書いているのです。
 こういうものがやはり現行の教育基本法の中には薄いのではないでしょうか。そういうものを加えて改正法案を出しています。安倍総理の言っている「美しい国」は、美しい人間がなければできないわけですから、できるだけ早く教育基本法案を成立させる、ということです。前の通常国会で50時間審議しています。普通この程度のボリュームの法案であれば、だいたい70時間から80時間も審議すれば十分です。ですから早く国会の審議をお願いして、改正法案を通す、ということだと思います。
 しかしこれは、法案を通しても仏様を作っただけで、魂が入っていないわけだから、この法律を実効あるものにしていくために、教育の現場を含めた制度改革に手を付けていく、ということじゃないでしょうか。