鶴見俊輔の戦争責任論

仲正昌樹は、『日本とドイツ 二つの戦後思想』(光文社新書)の第一章で日本とドイツの「戦争責任」を比較しながら、日本の戦後の戦争責任論が混乱しているのは、ヤスパースが分析した四分類(刑法上の罪、政治上の罪、道徳上の罪、形而上の罪)のような筋道をつけた責任論(『戦争の罪を問う』平凡社ライブラリー)が出なかったからだと書いているが、果たしてそうだろうか。
先の「哲学的腹ぺこ塾」の資料から紹介してみよう。
例えば鶴見俊輔の戦争責任論は、、ヤスパースに準じて考えると、法的責任、政治的責任、論理的責任、倫理的責任、宗教的責任に区分できるが、ヤスパースの有名な四分類の罪に対して鶴見の独特の視点は「論理的責任」と「宗教的責任」である。

論理的責任とは、戦争にかかわる自分の言動について明噺な意識をもつことの責任である。表現に対する責任である。ある種の言動をあとでかくしてしまって自己の歴史の偽造をやったり、自分が変節した地点で変節しなかったかのように言うことをやめる必要があり、またやめさせる必要がある。わずかの形式的なルールにすぎないが、言ったことは言った、曲った所では曲ったとはっきりおぼえておき、人にも理解してもらうべきであろう。ことに、自分の思想が他人の思想と深いかかわりをもつ公けの思想の領域においては、政治、学問、ジャーナリズムの別をとわず、この習慣が必要だ。政治家は、代議士選挙その他で、戦時の自分の行動をはっきりと記録して選挙人に賛否をとうほうがよいし、評論家ほ、戦時にかいた論文をすくなくとも、一、二篇は、各種の自分の代表的論文集の付管して加えることがよいだろう。敗戦後の日本の民主主義化は、このルールなくして行われた。(鶴見俊輔「戦争責任の問題」(『鶴見俊輔集9 方法としてのアナキズム』p168〜p172、筑摩書房、以下同じ)

これは戦争中に戦争の旗振りをしていた政治家や知識人たちが、戦後になって自分は不本意であったとか内心は反戦であったとか弁明したり、戦中の発言を頬被りしていることへの批判である。吉本隆明は別の文脈で、知識人は自分の思想の変容を明確にわかるように残すべきであるという趣旨のことを、『わが「転向」』(文藝春秋)でも書いている。
倫理的責任に関しては鶴見は次のように書く。

倫理的責任とは、戦時中の自分の生き方を自分で批判する過程で生じる責任であり、自分が自分にたいしてもつ責任である。人間は、上官に命令される時にも、その命令にしたがわずに死をえらぶかどうかについての自由をもっている。このような自由をもつ人間が、他人がどう思うかとか、刑事上の責任があるかどうかと無関係に自分の行動を自分で律しょぅとするときに、倫理的責任をとることができる。

鶴見自身は戦時中、軍属としてジャワのジャカルタ海軍武官府で働いていたが、その際に敵と戦って殺人を犯すよりも自殺できるようにアヘンをためて隠し持っていたという。幸いに鶴見はそのような状況にさらされることはなかった。だから、じっさいに鶴見の決意は試されることはなっかったのが、その決意を鶴見じしんが再確認しているようにも思える上記の記述は、ヤスパースの「道徳上の罪」よりも、はるかに体験的であると思う。
最近の鶴見の発言では、「戦後に私が考えたのは「自分は人を殺した。人を殺すのは悪い」と一言で言えるような人間になろう、ということだった。それが自分としての最高の理想で、それ以上の理想は、自分に立てないし、他人に対しても要求しない」(『戦争が遺したもの』新曜社)というのがある。
鶴見の「宗教的責任」については、しかるべき他日に検討する。