現下の新型コロナウイルス拡大情況に対する、黒猫房主の現状認識

現状は、すでに事実上の医療崩壊を来してしており、発症していない潜在的感染者数は公表されている感染者数の数倍はあるのではないだろうか。
これらの患者が無自覚に感染者を拡大させているわけで、オーバー・シュート(感染爆発)は時間の問題であろう(そうならないことを祈るが)。
また、軽症感染患者向けのホテルなどの入院施設が確保されたと報道されてはいますが、現実にはそこを管理する医療スタッフが足りない。
そこで、引退した医療スタッフの復帰要請がなされていますが、今回の新型コロナは感染力が高いことから、なかなか復帰者は集まらないのでないか。
一方で、院内感染の懸念から一般病院の救急患者や感染患者の受入拒否によるたらい回しも起き始めています。
もちろん、この間の新自由主義政策による病院の統廃合、ベッド数の削減も医療崩壊の遠因です。

それと、日本政府がPCR検査を制限している理由は医療崩壊を防ぐためと言われていますが、もう一つの理由は、軽症の感染者を拡大することによって、国民 の6割以上に「集団免疫」を作り、そのことによって感染拡大を阻止するという 水面化での構想がいまだに撤回できずにいるのではないか(イギリスはこの構想を後に撤回したが、この国の日本的無責任体制によってダラダラとこの対策が続いているよ うにも思われる)。
そして残り4割の内の高齢者・障碍者の重症感染者をトリアージして、「この際に」切り捨てる(重症化による死亡率は高い)という思惑が(自覚的/無自覚的に)隠されているのではないか、とも疑い得ます。

この間のこの国による医療費削減策(自己負担額の増加)を鑑みれば、弱者の切り捨ては明かであり、また「予防医学」による健康増進対策等は医療費増大抑止の名目ではありますが、実質は「生命の選別」であり、病気になること(病因)を自己責任化する医療化社会です。
これが「生-政治」の今日的スタンスなのではないだろうか。

現下の政府による緊急事態宣言は、いわば国家のアリバイ宣言であり、政府による休業補償を伴わない「自粛要請」は市民への責任転嫁でしかないのです。自粛をしない者の感染には「自己責任」を突きつけているわけです。
これが、日本的な「生権力」の現在性ではないだろうか。

この情況に際して、466億円も費やして一所帯に布製マスク2枚を支給するという政府内部ブレーンによる起案は、「自粛」に対するブラックユーモアとしても、笑えない。

この国のリーダーが、過去にも現在にも、「例外情況」において如何に無能であったかを、教訓としよう。だからと言って、有能な独裁者を望むべきではない。

★藤原辰史の「パンデミックを生きる指針──歴史研究のアプローチ」は、様々な示唆を与えてくれるので、是非ともお読みください

パンデミックを生きる指針──歴史研究のアプローチ」

 ★この情況下において感染のリスクを抱えなが従事されている、医療関係者やスーパー・物流関係者などのライフラインに携わる方々に深謝申し上げます。