「カルチャー・レヴュー」66号

本文は、http://kujronekob.exblog.jp/ にてお読みいただけます。

■目 次■
◆連載「伊丹堂のコトワリ」第10回:「精神」って何なんだ〜!?------ひるます
◆転載:倫理って何なんだ〜!――倫理の共有は可能か?----------ひるます
◆INFORMATION:教育基本法の改悪をとめよう! 10・3院内集会/《シンポジウム》「おかしいぞ!警察・検察・裁判所」第5弾!/安倍「改憲共謀罪」政権を批判する――作家・辺見庸講演の集い/みんなでとめよう!教育基本法改悪 10・22全関西の集いと&デモ
◆黒猫房主の周辺「他者への〈配慮〉、義務の先行性と内発性」-------黒猫房主

★本誌はメルマガ版ですが、他にバックナンバーとしてWeb版があります。
 http://homepage3.nifty.com/luna-sy/review.html
★それぞれの論考ごとにコメントや感想が書き込めますので、よろしくお願いします。
★本誌への投稿も募集しております。
  E-mailル:「YIJ00302」を「@nifty.com」の前に付けてください。
★67号は、06.11.01の刊行予定です。



●●●●INFORMATION●●●

教育基本法の改悪をとめよう! 10・3院内集会
http://www.kyokiren.net/_action/061003

 ■日時 :10月3日(火)午後4時30分〜5時30分
 ■場所 :衆院第2議員会館第1会議室
 ■発言 :国会議員
   全国連絡会呼びかけ人(大内裕和、小森陽一高橋哲哉、三宅晶子)
   さまざまな立場から
 ■参加のしかた :
  ※午後4時より、衆院第2議員会館のロビーで通行証を配布します。
  それを受け取って、午後4時30分までに会場に入ってください。

 ■主催 :教育基本法の改悪をとめよう!全国連絡会

 ●ホームページリニューアルしました。http://www.kyokiren.net/
 ●ブログはじめました。http://kyokiren.seesaa.net/
 ●11.12に全国集会を開催します。http://www.kyokiren.net/_action/1112

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 ★《シンポジウム》「おかしいぞ!警察・検察・裁判所」第5弾!
  安倍「改憲共謀罪」政権を批判する――作家・辺見庸講演の集い

 ビラをまいただけで逮捕されるという時代の到来に疑問を感じた
 ジャーナリストらが企画したこの集会も、今回で第5弾。共謀罪教育基本法など重要法案が審議されると言われる臨時国会を迎えたこの時期、作家の 辺見庸さんをお招きして、たっぷりと講演をお願いすることにしました。

 周知の通り、身体をむしばむ病いと闘いながら鬼気迫る言葉を発し続ける、 辺見さんの講演はものすごく貴重な機会で、ぜひ一人でも多くの人に参加してほしいと思います。

 また今年9月11日にNYを訪れたノンフィクション作家・吉岡忍さんの現地報告も行なわれるという豪華・盛りだくさんの集会です。
 会場の定員は約400名ですが、混雑が予想されますのでできましたら開場までにお越し下さい。

 ■日時:2006年10月13日(金)開場18時、開会18時15分、閉会21時20分
 ■場所:牛込箪笥(うしごめたんす)区民ホール (アクセスは下参照)
     ※第4回シンポまでの文京シビックと今回は会場が違いますのでご注意ください
  牛込箪笥区民ホール(TEL03・3260・3421)
  http://www.shinjuku-kuminhall.com/pdf/ushigometansu_map.pdf  
  東京都新宿区箪笥町15番地 牛込箪笥区民センター2階
  ・大江戸線 牛込神楽坂駅 A1出口【徒歩1分】
  ・東京メトロ東西線 神楽坂駅 2番出口【徒歩10分】

 ○第1部【報告】18時15分〜19時10分
  葛飾区ビラ逮捕事件被告 荒川庸生
  立川反戦ビラ事件被告 大洞俊之
  JR浦和電車区事件被告 斎藤秀一
 ………………………………………………………
  主権在民!共同アピールの会「9・11NY報告」
  ノンフィクション作家・吉岡忍/吉田司

 ○第2部【講演】19時15分〜21時15分
  辺見庸さん

 ◎主催「おかしいぞ!警察・検察・裁判所」シンポ実行委員会
 ◎呼びかけ人(50音順)
  魚住昭(ジャーナリスト)/大谷昭宏(ジャーナリスト)/
  岡本厚(『世界』編集長)/北村肇(『週刊金曜日』編集長)/
  斎藤貴男(ジャーナリスト)/篠田博之(『創』編集長)/
  二木啓孝日刊現代編集部長)/
  元木昌彦講談社 元『週刊現代』編集長)/
  森達也(TVディレクター・映画監督・作家)/他

 ◎参加費 1000円
  参加は予約不要で、どなたでも参加自由です。
  なお、過去に行われてきたこのシンポジウムの内容を収録した本
 『おかしいぞ!警察・検察・裁判所』が創出版より出版されています。

 ▼問合せ先→ mail@tsukuru.co.jp
 ▼イベント詳細→ http://www.tsukuru.co.jp/061013.html

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 ★みんなでとめよう!教育基本法改悪 10・22全関西の集いと&デモ

 ■日時:2006年10月22日(日)
  午後1時半:開会、午後4時半:デモ出発(梅田まで)

 ■場所:大阪市立北区民センター・ホール
     地下鉄堺筋線扇町」・JR環状線「天満」下車すぐ

 ◎講演:「教育の今、そして、教育基本法改悪の先にあるもの」(仮題)
      野田正彰さん(関西学院大学教授)

 ■資料代:500円



■黒猫房主の周辺■「他者への〈配慮〉、義務の先行性と内発性」

★ひるます氏から久方ぶりの寄稿を頂戴した。この間のひるます氏のテーマは「共有された生命のコト的発現」を廻っての体系的な考察になっていますので、過去の寄稿も参照してお読みください。そこでの重要なポイントとして、「ひるます倫理学=そうしなくてもいい、にもかかわらずそうする」という、「リアルの到来」に基づく実存的決断というのがあります。今回これまでWebでは読めなかった、「ひるます倫理学」を主題とした「倫理って何なんだ〜!」も転載いたしました。


★かつて黒猫はその論考に次のような感想を書いたことがあります。
《ひるます氏の「倫理」を黒猫ふうに変奏すると……。事的存在であるとは素朴実在的に「在る」のではなく、関係存在的に「在る」ということに他ならない。私たちが、共同主観的存在構造をもつということは、すでに/つねに「他者性」を組み込んだ存在であり、「他者への配慮」は不可避な経験でもあるだろう。この経験を自覚し続ける態度の内に「倫理」が生じ、「アラユル行為(コトの創造)は倫理的」な形式であるということが導かれる。つまり「あえて〜しなくていいにもかかわらず〜する」という形式である。/次に「永続的な他者への配慮」ということは、「我々」(私としての我々/我々としての私)を超えた、あるいは否定しようとする、〈外部〉としての他者への「応答可能性」のことであるだろう。このことが可能であるかぎり、〈倫理〉は無限に拓かれている。》(「La Vue」7号、2001.09.01)


★黒猫は「倫理主義」と〈倫理〉を区別しています。「倫理主義」というのは共同体等による他律的な「道徳」のことであり、それに対して〈倫理〉とは自ずから立ち上がる他者への〈配慮〉のことだと考えています。この「自ずから立ち上がる」ということを、ひるます氏は「リアルの到来」と呼ぶのだと思います。また他者への〈配慮〉のことを、「義務の先行性と内発性」と理解してもよいように思います。


★そのことについて、最首悟は次のように書いています(立岩真也『自由と平等』の脚注p322より孫引き)。
《最首が義務の先行性と内発性について述べている。「私たちは義務というと、他から押しつけられる、上から押しつけられるものと、反射的に反応してしまうので、よい感じはもっていないけれど、行動原理の根底は内発的義務であり、その内容は「かばう」とか「共に」とか、「世話する」とか、「元気づける」であって、それを果たすとき、心は無意識のうちに充たされるのかもしれない。/そのような内発的義務の発露が双方向的であるとき、はじめて人は尊ばれているという実感をお互いにもつことができ、それが「人が尊ばれる」というふうに定式化したとき、権利という考えが社会的に発生するのだろう。」(最首[1993→1998:131])「権利とは「この人、あの人はこう手当されてあたりまえ」という社会的通念です。それを「この人、あの人」が自分に引き取って、「私はこういう手当をされて当然」とすぐに言うことはできません。内発的な義務の発露を他者に投げかける、自分の選択を見つめる人たちがいっぱいいて、その人たちが社会という場をつくるときに、この場に権利という考えが発生するのです。」(最首[1994→1998:391])これを受けて、[2000b→2000g:312-313]で本文に記したことを述べた。最首の言う内発的義務については川本[2000]に言及がある。》


★しかしこの「内発的義務」の到来は、「この人、あの人がいること」の〈快/不快〉の恣意性に左右されるから不安定です。しかし私たちが他者との関係性において、好悪はあるにしても互いに〈ある〉ことの欲望にあるいは「正しさ」に忠実であるならば、強制としての義務=権利は承認されるのだろうと思います。(黒猫房主)