「キャラ」と「萌え」の考察④

コメント欄での応答がながくなっているので本文にて再録し、併せて黒猫房主の応答を書きます。

#鈴木薫さん
黒猫さん、交通整理ありがとう。「亜人間」の話からしましょうか。今そっちの方が興味あるから。葉っぱ64さん、アレはトムじゃなく、雑誌は「文藝」ですよう(短期集中連載とあるのを見て四回くらいで終るかと思って買っていたら続く、続く)。今でも持っていますが、結局単行本は入手しなかったような気が。いまどきは百円で出回っているのですか。あいにくブックオフというところ一度も行ったことがありません)、まあそんなことはどうでもいいのですが、二度目の書き込みで葉っぱさんが「裸のセックス」に至るために脱ぎ捨てるべきものがジェンダーだと思っているとわかったときには、頭を抱えました。「フェミニストたちもどうもジェンダーとしての男女の物語にとらわれていると思う」という最初の書き込みの「ジェンダー」が、生物学的セックスにつけ加えられたものといった意味で使われていたとも知らずに、「フェミニストにもいろいろいますが、確かに、ポルノと聞くだけで反対しないではいられないほど、既製の「男女の物語」以外のものを想像できない人もいますね」と書いた私のマヌケな応答は取り消します。そして断然フェミニストの側に立ちます。ポルノフォビックなフェミニストについての上の言及は内容的には正しいと思いますが、フェミニストが<そういう意味での>ジェンダーにとらわれていると葉っぱさんが主張されていたのなら、これは完全に誤解に基づくやりとりだったわけですから。

で、一度目の書き込みを読んでレスをつけてから、戻って二度目の書き込みを見るまでに、私は本屋へ行って『テヅカ・イズ・デッド』を買い、読みました。戻ってきてがっくりしたわけですが、啓蒙という行為が何より嫌いなので、葉っぱさんに批判めいたことを書く気がしなくて。(だから、葉っぱさんが言っているのはすでに解体されている「生物学的性差と性的志向が一致するという話」であると黒猫さんに書いてもらえてありがたい。もっとも、これ、表現に問題があると思いますが――要するに、男の身体を持っていれば必ず女を欲望し、女の身体を持っていればもれなく男を欲望する、という話ですよね。(*)。

*sexual orientationの定訳は、一応、性的指向となっています。また、「性別」と「性差」は同じではなく(セックスとはたんに二分法ですし)、フェミニストは性差をなくそうとしていると反動勢力が最近かまびすしいことを別にしても、「ジェンダー」を「性差」と見なすのは間違いのもと(というか、端的に間違い)。そのあたり注意すべきでしょう。

葉っぱさん言うところの「裸のセックス」なるものは、だからたんなるヘテロセクシュアリティであり、そこから逃れてきたはずの「男女」の「文脈」なしには実は成り立たないものです。「ジェンダーの文脈を出た裸のセックス」に萌えを見出すのはもちろん自由ですが、実はそこでこそジェンダーは最大に機能していると言えます。

それだけ言っておいて、亜人間の話です。実は私もこのマンガ家の名さえはじめて見るもので、もちろん当の作品を読んではいませんが、作中では少女たちは「義体」と呼ばれており、「亜人間」とは『テヅカ・イズ・・・』の著者・伊藤剛が名づけているのだと思われます。『地底人帝国』のウサギ人間・耳男[ミミオ]もそう呼ばれており、そしてこれはもともとは四方田犬彦命名なのではないかしら――というのは、四方田こそ、その昔、耳男の耳に注目し、W3のボッコはもちろん、アトムの頭の二つのツノもまた同類だとして(他にもいたはず)、人間に似て人間ならざる者のしるしだと見抜いた人だからです。(ちなみに伊藤は、四方田の論考から別の部分を引用していますが、耳のことには触れていないようです。)
さらに、「義体」たちは(黒猫さんの考えたような)クローン人間でないばかりか、障害があったり虐待を受けたりした少女であり、それを本人の意思によらずに身体改造し、薬物で洗脳してテロリストと戦わせるという……およそ、善良な黒猫さんの想像を超える設定なんですよ。男性の担当官と組んで行動するのだけれど、「担当官に対して「強い感情」を持つように薬物を用いて操作されている」。その結果、担当官が危ないときには条件反射的に彼を守る……。クローンだから内面があって当然とかいう話とはまったく違うものなのです。しかも、この作品が特異なのは、「それが悪趣味な、倫理的に問題のあるとされるものだと作中で言及」し、「読者に対して「おまえらは、こんな酷いものに萌えるのか」といいたげな身振りに満ちている」ことだそうで、それを「ジャンルへの強い批評性」と著者は呼んでいます。

自分の感情が操作されたものであることを知り抜いて、それでもなお存在する内面を持つ少女。それだけの前提あってのことと知れば、「私は 何から何まで 偽物ですね」と呟くシーンも、またちがって見えてくるでしょう?

伊藤は、この「私は 何から何まで 偽物ですね」を、「私はキャラですね」と読みかえています。それに対して、改造されたウサギであった耳男は、本来キャラなのにキャラクターとして死に、その結果、キャラであったことは隠蔽され、「事後的」に内面が生まれ、最初からキャラクターであったと錯覚されると述べています。
この構図、どこかで見たことあると思いません? Effectに過ぎないジェンダーが、セックスという実体から発しているかのように錯覚される。あれと同じです。デリダとも同じです。もちろんよって来たるところが同じだからです。だいたい「事後性」ってフロイトの用語ですし。

こうして見出された内面って、「何から何まで偽物」の私たちのセクシュアリティのようではありませんか。

これが、私が書評から遡って原典にあたった結果の発見です。
というところでセクシュアリティに話を戻してもいいのですが、
もう今夜は体力がないので改めます。

黒猫さんに一つ質問。n個の性の「性」って原語では何なの?(2005/11/30 21:49)

#葉っぱ64さん
>鈴木さん
長文のレスをありがとう、
そうですね「親指P〜」です。書き間違いました。ゴメン!
「文藝」にはまちがいないと思いますが、初稿が掲載されたのが、処分しているので確認出来ませんが「ブルーインク?」(題名もはっきりしませんが、リブロ池袋で購入した記憶があります)ではないかと思ったのです。まあ、本論とあまり関係ない話題なので、後にも先にも「文藝」でしか連載されていなかったとしておきます。
僕は今でも昔でも男根中心主義でない性物語に共振するタチなので、その文脈でしか発想出来ないのです。
もう一度強調しておきますが、
>その文脈を出た裸のセックスとしての♂♀であって、
これで僕が言いたかったのは概念として「裸のセックス」は想定出来るけれど、実際にはありえないと言いたかったのです。
セックスは文脈に依存する。そのことが今僕には納得出来ると言うことです。
そのことに関する学問的解釈、交通整理は黒猫房主さんに任せますが、ただ、僕が性のことを語るとどうも誤解されやすいので、念のため、付記しました。 (2005/11/30 22:57)

#黒猫房主
「性差」に関してですが、
江原由美子によれば、genderとは
1)社会的文化的に形成された男女の性格や能力等の特性・性差(「男らしさ」「女らしさ」をさす語。生物学的性差をさすセックス(sex)と対比的に用いられる。
2)フェミニズム的批評等の言語理論において、言語表現に示された性別に焦点を当てて批評するという考察をさす語。
3)社会的文化的歴史的に規定された性別や性差についての「知」をさす語。「知」を使用し産出する社会的実践が産出する社会秩序である「性別秩序」をさす場合もある。(『岩波哲学思想辞典』より)
それでバトラーや鈴木さんは、主に3)の意味で「性別」と「性差」を区別されているわけですね。
ちなみにバトラーの『ジェンダー・トラブル』の訳者解説で竹村和子は「セックス(生物学的性差)と書いています。僕は「性差」を限定的に遣っているのでとくに間違ってはいないと反論しておきます(笑)。

>黒猫さんに一つ質問。n個の性の「性」って原語では何なの?

この「n個の性」が出てくる『アンチ・オイディプス』(河出書房新社)4章の翻訳には原語のルビがないんですよね。それでいま知人に原書を調べて貰っていますが、下記に当該箇所を引用します。
「……いたるところに、顕微鏡的な<横断的性欲>が存在することになる。この<横断的性欲>を通じて、女の中には男性と同じほどに多くの男たちが存在し、男性の中にも同様に女性と同じほどに多くの女たちが存在することになり、これらの多くの男たちがこれら多くの女たちと、またこれら多くの女たちがこれら多くの男たちと、相互に入り乱れ結びついて、種々に欲望生産の関係の中に入るといったことが実現することになる。これらの欲望生産の関係は、まさに男女の統計学的秩序を動転させるものである。愛をかわすことは、一体になることでもなければ、二人になることでさえもない。そうではなくて、何千何万となることなのだ。ここの存在しているのが、まさに欲望する諸機械であり、非人間性なる性である。ひとつの性が存在するのでもなければ、二つの性が存在するのでさえもない。そうではなくて、n……個の性が存在するのだ。分裂者分析は、ひとりの主体の中におけるn……個の性をさまざまに分析するものである。社会はこの主体に対して、性欲を人間の形態で捉える表象を押しつけ、またこの主体自身も自分自身の性欲についてこうした表象を自分に与えるのであるが、分裂者分析は、こうした人間の形態で捉える表象を超えるものなのである。欲望する革命の分裂者分析の定式は、まず、<いくつもの性を各人に>ということになるであろう。」(p351)
文脈から推して僕は、xxx(超女性)からxyy(超男性)までの<性のグラデーション>としてのn個の要素と読んでいるのですが。
「ひとつの性が存在するのでもなければ」というのは、ラカン批判でしょう。ちなみに、森正司さんの<表象された差異としての「障害」について――― ドゥルーズの差異の哲学を手がかりとして>(http://www.jsds.org/resume/20040204.doc)が参考になると思います。
<性のグラデーション>という視点は、「n個の性」から僕が独自に発想していたものですが、その後幾つかの文献でも同様の遣い方がされていたので納得しています。

それから葉っぱ64さんの応答<僕が言いたかったのは概念として「裸のセックス」は想定出来るけれど、実際にはありえないと言いたかったのです。セックスは文脈に依存する。>という観点なら、僕も鈴木さんも異存はないでしょう。

この構図、どこかで見たことあると思いません? Effectに過ぎないジェンダーが、セックスという実体から発しているかのように錯覚される。あれと同じです。デリダとも同じです。もちろんよって来たるところが同じだからです。だいたい「事後性」ってフロイトの用語ですし。
こうして見出された内面って、「何から何まで偽物」の私たちのセクシュアリティのようではありませんか。(鈴木さんの発言引用)

亜人間」の話と上記の指摘面白く読みましたよ。
しかし「偽物」というと、「本物」を前提にする本質主義になってしまうのでマズイでしょう? デリダによれば反復が起源を遡及させるということであり、事後的にしか起源は問えないわけだから。

鈴木さんの応答を本文にて、再録しておきます。(2005/12/01 16:30)

#鈴木薫さん
確かに黒猫さんは「ジェンダー」を「性差」と呼ぶようなことはしていませんねえ。私がいちゃもんをつけたみたいで、その点はごめんなさい。
生物学的性差についても、生殖機能の差異はまだ「性差」ではなく、性を分割しようとする関心(これは文化ですね)があってはじめて「性差」が生まれる、みたいなことを加藤秀一氏などは言っていましたね。

n個の性、引いてくださった訳文を見るとどうやら原文はsexで
すね(フランス語だからsexeか)。

「……いたるところに、顕微鏡的な<横断的性欲>が存在することになる。この<横断的性欲>を通じて、女の中には男性と同じほどに多くの男たちが存在し、男性の中にも同様に(略)」

この<横断的性欲>って、今思えばトランスセクシュアリティのことですね。n……個の性も、セックス以外だったら、訳者が単純に性とは訳さなかったでしょう。

>それから葉っぱ64さんの応答<僕が言いたかったのは概念として「裸のセックス」は想定出来るけれど、実際にはありえないと言いたかったのです。セックスは文脈に依存する。>という観点なら、僕も鈴木さんも異存はないでしょう。

はい。異存ありませんし、文脈に依存すると葉っぱ64さんがお書きになっているのも、見落していたわけではないのです。サイトを拝見して、男根主義的セクシストからはるかに遠い方であろうことも拝察しています。それだけに、本質主義的♂♀へのこだわりから来るのかもしれない、私があげた例の読まれ方(Yさんの萌えの話は、ジェンダーの外へ出ることではなく、ジェンダーを利用して(ずらして)楽しむことですから)や、変態といった言葉の<ストレートな>使い方が気になって。前に書き込まれた文章のここのところはどういう意味ですかとまたお訊きするかもしれませんが、そのときは答えていただければ幸いです<葉っぱさん。噛みつきませんから。

>「亜人間」の話と上記の指摘面白く読みましたよ。しかし「偽物」というと、「本物」を前提にする本質主義になってしまうのでマズイでしょう? 

えーと、これは、「ノーマル」の正統性を信じているわけではないのに、あえて自らを「クイアー」と呼ぶ、というのと同じ意味で有効ではないの? 「本物」だと思っているあなたも、実は「偽物」なんだと最終的には示すということで。
この逆は、なんとしても「本物」だと認めてもらおうとすることで、ウサギ人間ミミオの努力と最期の言葉もそうだし、ロボットがロボット権を求めてデモをする鉄腕アトムの世界もそうですよね。ゲイの運動でも、「あなたが異性にひかれるように私は同性にひかれるのです」というのはそう。みんなn個の性を持っている、と言ったのでは俗耳に入らない。

ただ、みんな「クイアー」だ、みんなグラデーションだと、あっというまに俗耳に入っておめでたいことにもなってしまうんですよね。それもまた狭い世界での話で、一歩外へ出てみれば、「性差を大切に」的言説がはびこっているわけですが。 (2005/12/01 13:31)

今日、ジュンク堂書店大阪本店と旭屋書店本店の洋書コーナーで『アンチ・オイディプス』の原書(仏語)と英語版を探してのですが、両店とも置いていなかったので「性」の原語を確認できませんでしたが、鈴木さんの指摘とおり「sexe」でいいのかも? フランスかアメリカのAmazonだと目次が読めるようだから、あとで確認してみましょう。
「クイアー」と「偽物」の件に関しては、了解です。
★追加記述★「n……個の性」の原語は、やはり「n……sexes」でした!sexeの複数形ですね。(2005/12/02)