情報・憩い・微睡みの空間としての図書館

いぜん黒猫房主が「La Vue」紙(http://homepage3.nifty.com/luna-sy/lavue.html)を発行していた頃、O市の中央図書館の情報コーナーに本紙を置かせて貰っていた。それ以外にも市内の他の図書館への配布も窓口として受けてくれていたが(その後、その窓口サービスは中止)、O府立図書館は最初断られ押し問答の末に、やっと寄贈紙扱いで置いてくれることになった。
K市立中央図書館も最初持参した時は喜んで受け取って貰えたのだが、その後創刊号の「投げ銭システム」のトップ記事や本紙の投げ銭システムに対して趣旨は理解するが、図書館が間接的に推奨しているように利用者から把えられるとマズイということで返送されてきた。これは、なんという遠謀深慮か?(笑)
ところが、実はそうでもなかったのだ! 別の図書館で利用者からの苦情(「La Vue」紙への苦情ではないが!)があって、持ち込み媒体の選別をするようになったという話を聞いたからだ。
確かになんでもかんでも置くということになると、収拾がつかないという事情は理解できる。それで、行政関連以外のものは置かないという基準の図書館もある。それはそれで明解である。
しかし昨今の図書館は「起業支援セミナー」をする時代になり、「La Vue」紙発行の試行はある意味ではNPO的かつ「社会起業」的な出版活動でもあったわけだから、サークル勧誘や民間のチラシを置いている図書館が本紙を置けない理由はないと思うのだが……。
というよりも、図書館は情報の発信場所として市民/住民に開放されてもよいのではないか? ちなみにO市の学習センターでは問題なく本紙を置いて貰えたし、あるセンター長らしき人からは「毎号、愉しみにしていますよ」と歓迎の言葉も頂戴した。

ところで哲学者の田島正樹さんが、ブログで図書館の想い出を書いている。その図書館は篤志家の寄付によって出来た図書館だったそうだが、建て替えで立派な図書館になってからは、憩う空間がなくなって効率優先の図書館になったことを惜しんでいる。 http://app.blog.livedoor.jp/easter1916/tb.cgi/50172680
またWebではホームレスの人たちの利用/滞在を忌諱する声を耳にすることがあるが、図書館は誰でもが出入り自由な<憩いの共空間>であり、<戸惑い微睡む空間>であってもよいし/あるべきだと思う。僕などは、図書館で居眠りしている人を見かけると安堵する。あるいは、生き暮れた人が翼を休める鳥のように図書館に辿り着き、書架の1冊の1行に癒され勇気づけられることがあれば、図書館の役割としてそれで充分なのではないか。
目に見える成果として図書館が「起業支援セミナー」を行うのもいいが、<憩い戸惑い微睡むことの可能性>を短兵急に否定してはならないと思う。