竹内好の戦争責任論

そして竹内好じしんは、

思想のエネルギイ源として戦争責任に固執するものは鶴見俊輔だけでない。しかし、割合いからいえばそれは少数である。戦争責任を論ずるにしても、歴史の断罪として、あるいは告発として、あるいはせいぜいザンゲとしてあつかうものの方が多かったし、今後は、この派は戦争過去説に移行するだろうから、ますます少くなると思われる。戦争体験の普遍化が困難である以上に戦争責任の普遍化は困難である。罪の意識の伴わぬ戦争体験はありうるし、その幅はひろいからである。戦争責任論が成立するためには、加害意識の連続が前提になり、そのためには戦争処理が完結していない、あるいは戦争そのものが事実としておわっていないという認識が必要であるように思う。これは少数者にたよるほかない。(「戦争責任について」(『日本とアジア』p230〜237、ちくま文庫、以下同じ)

冷戦文化論―忘れられた曖昧な戦争の現在性この「戦争そのものが事実としておわっていないという認識が必要であるように思う」という認識は丸川哲史の『冷戦文化論』(双風舎)にも継承されているかも知れないし、いわゆる「戦無世代」が「戦後責任」を考えるうえでの大きな契機にもなり得ていると思う。
そしてまた竹内は

戦争責任不在論、あるいは戦争責任無意味論は、最初からあったし、だんだんふえた。これにはいくつかの類型がある。一つは、鶴見の指摘する歴史主義からくるもので、きのうの我ときょうの我はちがうという考え方である。一つは、その歴史主義がマルクス主義で代表されているという直観(半分は当っている)からイデオロギイ的にこれに対抗するために利用された合理主義の立場である。一つは、その合理主義が見のがしているいちばん悪質の機会主義あるいは情勢論である。これが大部分であって、罪の重いものほど罪の意識が少いのはほとんど法則である。生産的な戦争責任論は、この三者(まだあるかもしれない)と絶えずたたかっていかねばならぬだろう。

「罪の重いものほど罪の意識が少いのはほとんど法則である」というのは、まさに卓見であろう。(この稿、続く)