Web評論誌『コーラ』13号のご案内
■■■Web評論誌『コーラ』13号のご案内■■■
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●新連載〈心霊現象の解釈学〉第1回●
心霊現象への非哲学的考察
広坂朋信
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(前略)カントが取り上げた「視霊者」、スウェーデンボリは、自然科学を
学び、スウェーデン王国鉱山局の幹部として勤めるかたわら、自然科学につ
いて、また、自然(宇宙)についての思弁哲学的論文などを発表していた
が、神秘体験を経て神学研究に転向、カントが読んだ『天界の秘義』をはじ
め、多くの神秘主義的著作を刊行した。それらの中で彼は、肉体から離脱し
てもなお人格と(霊感によってのみ感知される)実体を持った霊と、そうし
た霊たちが住まう霊界の実在を説き、霊界の有様や霊界と現実世界の関係に
ついて述べている。(以下、Webに続く)-----------------------------------------------------------
●書評●
走り書きの松下昇論
――高本茂『松下昇とキェルケゴール』(弓立社)を読み終えて
高橋秀明
http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/syohyou-13.html
高本茂が『松下昇とキェルケゴール』を弓立社から上梓した。昨年の夏過
ぎ、二○一○年九月のことである。
高本は必ずしも毎年ではないが、夏に避暑を兼ねて私の住む北海道の地を
訪れる。訪れた折には、たいてい会って食事をしたり、私の方で札樽近辺を
案内したりする。折々メールのやりとりもするし、電話で話をしたりもす
る。ただ、松下昇のことについて近年真剣に議論をした記憶はない。私の方
で避けていた向きがあったからかもしれないし、高本の方で私相手では話が
うまく噛み合わないことを察知していたからかもしれない。
(以下、Webに続く)-----------------------------------------------------------
●特別寄稿●
砂男、眠り男――カリガリ博士の真実
平野智子・鈴木薫
http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/kikou-13.html
(前落)『カリガリ博士』について論じる過程で、私たちは必然的に、こ
れまでなぜ、この有名なフィルムについて、まともな批評がなされてこなか
ったのかを考察することになった。そして、その結果として、既存の批評の
主に次の二つの立場に、異議を唱え、反対することになった(なお、この二
つの立場からの批評は、『カリガリ博士』論に限らず、今なお広く行なわれ
ているものであることを言いそえておこう)。一つは、芸術作品を論じる際
に、「性的なもの」と「知的なもの」を結びつけることができない――前者
を、矮小化、局所化するために――立場であり、もう一つは(一つめと関連
するが)、あらかじめ作り上げた物語=歴史に、植民地化したジャンル(こ
こでは映画)の作品を取り込んで利用する――作品を単純に時代を反映する
ものと見なして、もっともらしい文化史を捏造する――立場である。
(以下、Webに続く)-----------------------------------------------------------
●連載:哥とクオリア/ペルソナと哥●
第17章 夢の推論──ラカン三体とパース十体(急ノ壱)
中原紀生
http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/uta-17.html
(前落)「常に変化する空間、経過する時間の中で、ただ一つの凧(追憶へ
のイメージ)だけが、不断に悲しく寂しげに、穹窿の上に実在している」。
これを読んで私が連想したのは、かの貫之歌「影見れば波の底なるひさかた
の空漕ぎわたるわれぞわびしき」でした。硝子のように冷たい青空をただ一
つさびしく漂う「凧」と、波の底なる空(蒼穹の影を宿した水面)をわびし
く漕ぎわたる「われ」との関係(たとえば、物質や生命の世界から隔絶され
た純粋な言語空間(そこには、過去も現在も未来もない)を風に吹かれなが
ら、もしくは頼りなく漂うものとしてこれらをとらえるなら、「凧」と「わ
れ」は同じ事柄を指し示す異なる形象となるし、「凧」を物質・生命の世界
の先端に結晶する精神の比喩とてしてとらえ、「われ」を純粋な言語空間に
属する言語的な「われ」であるととらえるなら、両者はそのあり様をまった
く異にする)、そしてまた、貫之の「千代経たる松にはあれど古の声の寒さ
はかはらざりけり」の歌に詠まれた「いにしへの声」と、芭蕉の句にいう
「水の音」をくわえた四つの詩句(詩想)の関係は、視覚と聴覚、かたちと
リズム、実在と不在、空間と時間、等々がいりまじった複雑な様相を呈しま
す。(以下、Webに続く)-----------------------------------------------------------
●連載「新・玩物草紙」●
翻訳/人工光線の植物工場
寺田 操
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2009〜10年発売の村上春樹『1Q84』。「北京の書店から」(朝
日新聞「GLOBE」2010・8・16)によれば、中国では5月下旬
「BOOK1」、6月末「BOOK2」が刊行され、7月にはベストセラー
の上位を占める人気。いまや世界中で村上春樹本の人気はうなぎのぼり。版
権取得と翻訳者選びにも論議を巻き起こしている。中国は村上春樹本の翻訳
=林少華が定番だったが、今回の翻訳は公募となり、シー・シャオウェイに
決定。中国テイストが濃厚で美文調の林少華訳、一方、言葉が洗練されて読
みやすくリズミカルなシー・シャオウェイ訳。両者による同一作品の翻訳は
ないから比較はできないが、翻訳は時代の文体を伝える「使命」が課されて
いるのかもしれない。(以下、Webに続く)-----------------------------------------------------------
●コラム「コーヒーブレイク」その6●
2010年に観た映画──現代日本「ばかもの」の系譜
橋本康介
http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/column-6.html
昔、『無用者の系譜』(64年、唐木順三)という本を読んだ。西行・在原
業平・一遍・兼好・良寛・秋成・芭蕉などを論じて、「何故、日本の優れた
思想や文学が、世捨て人=無用者によって作られ語り継がれて来たか?」を
説いていた。それになぞらえて当つぶやきの標題を『現代日本「ばかもの」
の系譜』としてしまふほどに、今「ばかもの」が愛おしい。-----------------------------------------------------------
●映画アンケート結果公表2010
http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/filma10.html