吉田喜重の総ざらえ②

★野原燐さんのコメント欄での質問に答えて
<総合>についての記述は、別役実の「伝説・北一輝」という評論の中で出てきます。それは『改造法案』と『国体論』を比較する上で、北の言葉に対する戦術的態度の変更を指摘する章の末尾部分です。
そこでは『国体論』が言葉の総合を目指したのに反して『改造法案』は片言であるが、それは「天皇」がそれ自体ひとつの総合であることに対して、北じしんが天皇に対して(存在としてではなく)言語として「対等である」ために戦術変更をしたという、別役実の読解にあります。
この指摘をしている箇所を長文ですが、下記に引用しますね。

 北一輝の言葉について考える時、私はそこに三つのポイントがあるような気がする。第一のポイントは二十代に書きあげた『国体論』である。第二のポイントは、上海において断食をしながら書きあげた『日本改造法案』である。そして第三のポイントは、獄中にあって、経文の裏に書き残した息子大輝宛の遺書である。そして私は、『国体論』にあって北一輝はもっとも饒舌であり、『改造法案』となって寡黙となり、遺書になって更に寡黙になった、と考える。少なくとも、『国体論』を書く段階では、北は言葉に対して「戦術」をこらしてはいない。そこにある言葉は、世界を理解する事が同時に自分を世界に理解させる事であるという楽天性に、終始貫かれている。
 『改造法案』に至って様相はガラリと変化する。これは、日本改造を企図した具体的な政治プログラムである。だからそうなのである、と言ってしまえばそれまでだが、ここには、「自分を理解させる」と言った意図が、言葉通りの意味では、きれいにぬぐい去られている。具体的な行動の指針しか書かれていないのであり、もしここから北一輝自身をうかがい知らねばならないとしたら、我々は、それをそうさせた北一輝の「決意」を見るのみなのである。つまりこの時、北一輝自身が世界に理解させようとしていたのは、彼の「思想」ではなくて「決意」だったのである。もっと言えば、彼は「思想」とは「決意」の事であると、悟ってしまっていたのだ。
 しかも、北一輝は、この『改造法案』について奇妙な儀式を、西田税との間にとりかわしている。つまり北は、日本への帰国後、この『改造法案』を西田に「譲渡」しているのである。これは奇妙だ。ここには、ある種の家元がその秘伝を、弟子に伝授するような、陰湿な儀式の匂いがする。
 『日本改造法案』は、北一輝にとっては、一種の「詩」である、と言う説がある。私もこの説には反対ではない。「詩」は、作りあげられた瞬間から、詩人の手をはなれて独立した存在となり、独立した効力を発揮しはじめる。「詩」のために支払われた言葉は、ただ一途に「詩」を完成させるべく奉仕し、一旦それが完成されてしまうとその「存在」は、世間とその作者を同等の共犯者として扱い始める。「詩」は「詩人」ではない。その「詩」が人々に被害をもたらすものであれば、「詩人」もまた被害者のうちに数えあげられなければならないのである。
 北一輝も、こうした「詩」と「詩人」の関係のうちに、自らを安定させたかったに違いない。しかし、『日本改造法案』は、「詩人」北一輝にとっての「詩」でもあるが、「革命家」北一輝にとっての「クーデター」計画でもあり得る。この関係は複雑だ。北一輝自身にしてみても、創作の動機として、つまり「構造」としては「詩」である事が望ましかったに違いないのであるが、効用としては「クーデター計画」である事が必要だったに違いないのだ。恐らくそのため、西田との奇妙な契約を必要としたのであろう。西田にそれを「譲渡」したところで、著作者北一輝の名前が消えるわけではない。実際にはどれほどの効果があるものか極めて疑わしいと思うのだが、北一輝とすれば、恐らくその「決意」のために、それが必要だったのだろう。
 『日本改造法案』は、北一輝が、言葉に対して戦術を考えはじめた最初のものである。『国体論』の言葉が一つの総合を目指しているのに対して、この言葉はすべて片輪であり、片輪である事を、そのまま維持しようとする「決意」に満ちている。『国体論』から『改造法案』に至る間に、例の「大逆事件」が起り、『国体論』を唯一賞賛したと言われる幸徳秋水がこれに連座して処刑された。もし北一輝が中国に渡っていなければ、同様に連座して処刑されたのだと言う説もあり、この事件が、何等かの形で北に影響を与えたという事は、大いにあり得る。もちろんそれが、『国体論』から『改造法案』へ、北の「天皇観」を変えさせた、とする説に、私は組しない。「天皇観」が変ったのではなく、彼の言葉への対応の仕方が変ったのだ。
 彼は恐らく、言葉が内発的なものであり、−つの総合を目指して自己増殖し、ひいては彼自身をものみこんでしまうものである事を恐れたのだ。その時彼には、少なくとも言葉を対象化し、それと対等になる事がどうしても必要だった。彼はそうした。その過程で彼が、「天皇を憎む事」と「天皇と対等になる事」が明らかに違うのだと言う事を、そして、「天皇を憎む事」よりも「天皇と対等になる事」が必要だと言う事を、理解したとしても、不思議ではない。
 『日本改造法案』は、こういう言い方が許されるなら、北一輝の「天皇と対等である」という決意が書かせたものである。そしてそれは、彼の「天皇」への戦術からきているのではなく、言葉への戦術からきているのに他ならない。「天皇」はそれ自体一つの総合である。従って「天皇」はやや片言でしゃべる。片言でしゃべればしゃべるほど「含蓄が深い」のである。彼もそれをしたのだ。極めて単純な事柄を、極めて断定的に決めつけ、一方で、その「含蓄の深さ」に、或るものをたくそうとしていたに違いない。
 彼は、或る意味では言葉を克服した。『日本改造法案』はすべて、対象化された言葉で書かれ、従ってそこから、北一輝自身を見つけ出そうとするのは、至難のわざである。しかし、北一輝自身は、その言葉を言葉たらしめているものが、それを対象化せしめているものが、虚構の、つまり「天皇と対等である」という彼自身の意識である事を知っている。以後、彼は、そのことに終始おびやかされるのである。
戒厳令 伝説・北一輝」(p179〜p183、角川書店)より

★3/26、引用文中、2箇所の誤字・脱字を訂正しました。
日本改造法案大綱(全文 ひらがな版)が、こちらで読めるそうです。→http://www2s.biglobe.ne.jp/~shigeaki/KitaIkki.htm