「キャラ」と「萌え」の考察②

「カルチャー・レヴュー」寄稿者の鈴木薫さんからコメントを頂戴しましたので、本文にも再録します。鈴木さんは僕とは同世代ですが、「コミケ」にも出店されています。

#鈴木薫さんhttp://kaorusz.exblog.jp/
鈴木薫です。ロムはしていたのですが、書くならむしろ自分のブログの方にだなと思って書き込むのは控えていました。しかし、黒猫さんのお誘いがありましたので、最近あった実話を紹介してみましょう。私の友人Yさん(女性)のパートナーであるZ君(男性)が、あるコミュニティ内で、やおいキャラとしてマンガに登場させられるという出来事があったという話を、当のYさんから聞きました。先輩の男(モデルあり)二人がZ君を奪い合うという内容で、それを見たYさんは「Z君萌え――」と思ったそうです。「Z君にはじめて萌えた!」と言うので大笑いしたんですが、Yさんによれば、「鈴木さんはそうやって面白がってくれるけれど、ある男性に同じ話をしたところ、自分と同居している男性がそういう扱いを受けたのにその態度はなんだと怒られた」のだそうで。

この話で私に面白いと思われるのは、「ウケ」キャラに女性が同一化(「所有」ではなく「なること」というわけですね)するのではなく、そういう“ポジション”に男性が置かれることで「はじめて」(女性の;some womenの)性的対象となるという文脈をサジェストしているという点です。むろん、Yさんの言は半分は冗談でしょうが、しかし、かなり真実でもあると私には感じられます。Yさんの場合、通常のヘテロセクシュアリティ=「男女の物語」の回路にZ君との主な関係性があるわけではない(少なくともその性質は薄い)と思われますが、一方、「ウケ」として設定されたZ君には、俄然「キャラ萌え」してしまったというわけです。

「キャラ」の時間性のなさという点に話をつなげてみますと、「キャラ」というのは「出来合い」「レディメイド」ですよね。これは、固有の歴史=物語性(「人生や生活、内面」)から切り離されて、出来合いの構図(それはとりもなおさず、通常、女性のものとされている〔=女性に強制されている〕セクシュアリティオルタナティヴとして、女性たちによって表現されてきたものなのですが)の中に置かれたZ君が、男女の物語〔ヘテロセクシュアリティ〕に回収されないZ君として突如立ちあらわれて「輝く」といった事態なのでしょうか。
なお、以上の話はあくまで鈴木による解釈であり、実際のYさんたちの真実とは異なるかもしれないことをお断りしておきます。 (2005/11/27 23:57)