Web評論誌『コーラ』19号のご案内

ログインのIDtパスワードを失念してしまって、この間ブログの更新ができなかったのですが、本日何とか復旧いたしました。

 ■■■Web評論誌『コーラ』19号のご案内■■■

 ★サイトの表紙はこちらです(すぐクリック!)。
  http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/index.html

 ●現代思想を再考する6●
 差異と継承
 
  ST(コメント:広坂朋信)
  http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/gendaisisou-6.html
  1:差異
  この文章で問題となるのは差異とその継承である。そこでまず、批判・検討
 を加えるべき叩き台として問いを立てる:差異を如何にして継承するか?
  この問いの批判・検討をされるべき点は、この問いが、差異を継承に先立っ
 て現前するものであると聞き手に誤解させる恐れのある点である。つまりこの
 問いは、現前的で同一な差異というものがまずあって、その後にそれを継承す
 る方法を問う問いであると、聞き手に誤解させる恐れがある。
  しかし勿論、「現前的で同一な差異」という文は矛盾している。差異は差異
 である限り、いかなる現前性と同一性からも差異化する。だから差異は、差異
 として現前性と同一性において規定されること自体からも差異化するものであ
 る。つまり差異は、差異(という規定)から差異化し、したがって差異自身か
 ら、自己自身から差異化する。自己からの差異化が差異である。(以下、Web
 に続く)
 
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 ●現代思想を再考する[第2期]1●
  柄谷行人『世界史の構造』の枠組みについて

  岡田有生(コメント:広坂朋信)
  http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/gendaisisou-s1.html
  柄谷の態度変更・批評から体系へ
  80年代以後の日本を代表する批評家・思想家である柄谷行人の著作『世界史
 の構造』が出版されたのは、2010年6月のことだ。その時、書物好き、思想好
 きの人の間では、この本は大きな話題になったと思うのだが、僕は80年前後か
 らの愛読者でありながら、この本をこれまで読まずにきた。正直、柄谷に対す
 る関心が、いつ頃からかすっかり薄れていたためである。
  ただ、この大作の概要のようなことが書かれている『世界共和国へ』という
 本が、2006年に岩波新書から出され、そちらの方は読んだ。だから、著者の主
 張の大枠は知っていたわけだが、その内実というか、思想の中味のようなこと
 については、この本を読んではじめて知ることになったと言っていいと思う。
 (以下、Webに続く)

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  ●連載:哥とクオリア/ペルソナと哥●
   第23章 
 
  中原紀生
  http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/uta-23.html

  ■宇宙音声が飛び交い、アラベスクのごとく文字が立ち上がり絡まる場所
  司馬遼太郎は『十六の話』に収められた「アラベスク──井筒俊彦氏を悼
 む」で、井筒俊彦の学問をめぐって、「古今東西の万巻の古典をそれぞれの言
 語で読み、それをつきあわせつつ、個人や集団がもっている無意識下の深層に
 入り、その混沌の本質をつかまえ、体系化した」と書いています。
 (以下、Webに続く)

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  ●連載「新・玩物草紙」●
   アイロニカルな沖縄料理/詩想の箱

  寺田 操
http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/singanbutusousi-9.html
  アイロニカルな沖縄料理
  八重洋一郎詩集『沖縄料理考』出版舎Mugen/2012・7・7)を開く。料理考
 とあるが、詩集はけしてグルメではない、生きのびるための食なのだと優しく
 笑いかけながら宣戦布告された。
 《あのドストエフスキー描く/悪魔さえまっさおな/ニヒリスト/スタヴロー
 ギン/豪華なパーティーの席上/だれかにチョット/声をかける/お耳を拝 
 借…… そして何かを/ささやく(ふり)/ガフッ!/耳をちぎれんばかりに
//(昔 恋人を争って相手の耳を食べたものもいる)//コリリ コリリ
 クラゲのような/その噛みごこち》(「耳ガー」)(以下、Webに続く)

Web評論誌『コーラ』17号のご案内

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 ●現代思想を再考する4
 神話劇を見る視線
 
  広坂朋信(コメント:岡田有生)
  http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/gendaisisou-4.html
  岡田有生氏の前回の論考は、今村仁司の第三項排除効果論を取り上げて、深
 く鋭く問い直すものだったが、私は山口昌男スケープゴート論について浅薄
 かつ散漫におしゃべりしてみたい。一知半解の駄弁を読む暇のない方は、本稿
 に寄せられる岡田氏のコメントにだけ眼を通していただければ結構かと思う。
 以下、御用とお急ぎのない方だけお付き合いいただこう。
 
 今村仁司の二つの注
  さて、今村仁司はその著書『暴力のオントロギー』の最終章で「供犠(サク
 リファイス)の論理は、エディプス・コンプレックス、象徴的父親殺し、象徴
 的自殺、象徴的近親相姦ないしナルシシズム、さらにはヒトラーの政治神話的
 戦略にいたるまで、種々の形態をとりうる」としたうえで、それに次のような
 注を付していた。(以下、Webに続く)

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  ●連載〈心霊現象の解釈学〉第4回●
   少女が死霊に取り憑かれるまで――妄想「累ヶ淵」

  広坂朋信  
  http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/sinrei-4.html
  夏場なのでどうあっても幽霊を出したいところである。この連載コラムは、
 カント、ヘーゲルエンゲルスと来たのだから次は順当にいったらベルクソン
 あたりなんだろうが、赤毛ものばかり続くのも少し飽きてきたところだ。それ
 に、夏の幽霊と言えば日本の風物詩であるから、今回はがらりと趣向を変えて
 日本の幽霊を出したい、いや、お出でいただきたい。ということで、ハイ出ま
 した、出ていただきました。どなたかというと、「累ヶ淵」の累さんである。
 ルイじゃありませんよ、かさね、と呼んでください。実在した人物ですから
 ね、失礼のないようにしたいものです。(以下、Webに続く)

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  ●連載:哥とクオリア/ペルソナと哥●
   第21章  水なき空のメタフィジィク・下句
        ──ラカン三体とパース十体(急ノ伍)
 
  中原紀生
  http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/uta-21.html
  ■修辞から境地へ─第二のメタフィジィク
  これより、定家十体をめぐる『初期歌謡論』の議論を駆け足で、いわば「ク
 イック・フォックストロット」のリズムでもって見ていきます。が、その前
 に、議論の前提となる事柄をひとつ、確認しておきます。
  前々章で引いた文章のなかで、吉本隆明氏は、壬生忠岑の和歌体十種と定家
 十体との「二世紀半ほどのあいだに、歌をつくることは、表現を媒介にしてあ
 る心の境地を、いいかえればメタフィジィクを獲得することだというところに
 踏みこんでいったのだ」と書いていました。(以下、Webに続く)

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  ●連載「新・玩物草紙」●
   記憶遺産/破れた世界と、ヴェルテップ

  寺田 操
http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/singanbutusousi-7.html
  2011年5月、ユネスコの「世界記録遺産」に登録された山本作兵衛の筑
 豊炭鉱画は、地下労働者の生活がリアルに描かれた貴重な生活記録であった。
 記録遺産とは、人々の営みを記録した歴史的な文章の保存を目的として
 1992年にはじまり、アンネの日記など76ケ国190件以上が登録されて
 いる。
  炭坑産業の記録は、政府の公文書や企業の記録として残っている。何しろ
 「石炭なくしては国家の発展はなく、文化の興隆はありません」などと言った
 国家エネルギー・プロジェクトだったのだから。けれども、実際に炭坑の現場
 で働いていた労働者のリアルな行為は、ここでは記述されてはいないだろう。
 わたくしは『まっくら―女坑夫からの聞き書き―』(森崎和江著・山本作兵衛
 画/1970・8/現代思潮社)で、炭坑産業とそこで働き暮らす人々の記録
 と文化を知った。それにもまして山本作兵衛が92歳で亡くなるまで描いた2
 千枚近い絵は、実際に現場にいた者にしか分からない死と隣り合わせの地下世
 界を、精緻なタッチで伝達してくれた。(以下、Webに続く)

21*[「コーラ」]Web評論誌『コーラ』18号のご案内

とうとう年末。今年も残すところ16日となりました。
今年一年たいへんお世話になりました。
来年もよろしくお願い申し上げます。


■署名のお願い:市民の不当逮捕に抗議します。

 放射能と有害物質を含む震災がれきの広域処理に反対する市民の逮捕は不当です。下地真樹准教授らの即時釈放と謝罪を求めます。
 ★署名サイト http://keepcivicactivity.jimdo.com/

不当勾留中の下地さんから 声明文が届きました。↓
http://blog.goo.ne.jp/garekitaiho1113/e/79c68fd4e86da4ec02b2e01a5188052b

沢田研二の応援演説映像
「昔ジュリー、今ジジイ」の沢田研二による、原発廃止への思いがよく伝わって来る演説です。↓ (録画の中頃に登場)
 http://www.ustream.tv/recorded/27708252

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 ●現代思想を再考する5
 怨霊と祝祭、または世界劇場論的思考のために
 
  広坂朋信(コメント:岡田有生)
  http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/gendaisisou-5.html

  忠臣蔵論争への挨拶
   忠臣蔵論争というものがあった。『仮名手本忠臣蔵』(以下、忠臣蔵と略
 記)は歌舞伎の人気演目だから、これをめぐる論争はいくつもあったろうが、
 ここで私が念頭に置いているのは、今年(2012年)の10月に亡くなった作家・
 丸谷才一と国文学者・諏訪春雄とのあいだで、1985年に交わされた論争であ
 る。論争のトピックスとなった忠臣蔵とそのモデルである赤穂事件について
 は、現代でもたびたび舞台、映画、テレビドラマ化され、関連書籍も多数発行
 されているので端折らせてもらう。
  さて、この忠臣蔵論争の発端は、1984年に発表された丸谷による評論『忠臣
 蔵とは何か』(講談社)だった。民俗学や人類学を参照しながら、忠臣蔵とは
 御霊信仰を動機にしたカーニヴァル的演劇だと論じた丸谷は、同書の結論部分
 で「うんと大づかみに言へば、春と冬の対立と交替といふ自然界の循環の比喩
 の上に、将軍徳川綱吉あるいは徳川体制への呪ひを盛りつけたのが『仮名手本
 忠臣蔵』の基本の構造」だと自説を要約している。(以下、Webに続く)

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  ●連載:哥とクオリア/ペルソナと哥●
   第22章 バベルの後の詩人たち──和歌のメカニスム?
 
  中原紀生
http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/uta-22.html

  これより先の数章は、ラカン三体とパース十体(さらには、貫之三体と定家
 十体)の錯綜した関係(もしくは、無関係)をめぐる挫折した論考の後始末、
 いいかえれば、余情というよりは未練の、倒錯した残心の構えでもって試みた
 落穂拾いの顛末記です。いわば、「ラカン三体とパース十体・残」の巻。
 
 ■和歌という意識
 
  前章で、吉本隆明(『初期歌謡論』)による定家十体二重構造の説(定家十
 体を、幽玄様・長高様・有心様・事可然様・麗様という、「追いつめられた純
 粋詩」の世界に充てられる五つの歌体群と、見様・面白様・濃様・有一節様・
 拉鬼様という、「今様の歌曲俗謡の世界が、和歌的な声調に圧倒的な力で浸透
 してきたこと」がもたらす和歌形式の崩壊の危機への「何らかの意味での救抜
 (Erloesung)」のために設定された五つの歌体群とに二分する)をめぐっ
 て、純粋詩としての和歌を味わい、感銘を受けるためには、鑑賞者自らが作者
 となって、その当の歌をオリジナルな自作詠として「いひいだす」のでなけれ
 ばならない、といった趣旨のことを書きました。このことに関連する話題を二
 つ補います。(以下、Webに続く)

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  ●連載「新・玩物草紙」●
   庭 園/迷 宮

  寺田 操
http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/singanbutusousi-8.html

  ベランダの鉢植えに蜂がやってくる。土に触るのは苦手、おまけに虫が怖
 いときている。野道で摘んだヨモギに青い小さな虫がついていたのを見つけ
 て、草餅にする気にならず捨ててしまったとき、「虫がつくのは新鮮な証拠だ
 よ」と笑われたが、虫愛ずる姫になどなれない。けれど、草木のないベランダ
 は殺風景だからと、パセリ、クレソン、ローズマリー、ミント、バジル、ラベ
 ンダーなど、食べられる草の鉢植えや季節の花を少しだけベランダで育ててい
 る。コンテナで野菜を育てたことがあったが、ミニトマトもキュウリも茄子も
 苺も唐辛子も木の芽も、どれもこれも小さくしか育たなかった。書斎の窓際に
 は、コーヒー豆などのいくつかの観用植物。小さな我が庭園だ。冬場は豆苗、
 人参、蕪、大根などの野菜の残りもので水耕栽培。数年前にスーパーの景品で
 もらった名も知らぬ植物は、妖しく伸び出していまや70センチの丈。次々と
 大きな葉をつけて緑の涼を運んでくれる。(以下、Webに続く)

Web評論誌『コーラ』17号のご案内

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 ●現代思想を再考する4
 神話劇を見る視線
 
  広坂朋信(コメント:岡田有生)
  http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/gendaisisou-4.html
  岡田有生氏の前回の論考は、今村仁司の第三項排除効果論を取り上げて、深
 く鋭く問い直すものだったが、私は山口昌男スケープゴート論について浅薄
 かつ散漫におしゃべりしてみたい。一知半解の駄弁を読む暇のない方は、本稿
 に寄せられる岡田氏のコメントにだけ眼を通していただければ結構かと思う。
 以下、御用とお急ぎのない方だけお付き合いいただこう。
 
 今村仁司の二つの注
  さて、今村仁司はその著書『暴力のオントロギー』の最終章で「供犠(サク
 リファイス)の論理は、エディプス・コンプレックス、象徴的父親殺し、象徴
 的自殺、象徴的近親相姦ないしナルシシズム、さらにはヒトラーの政治神話的
 戦略にいたるまで、種々の形態をとりうる」としたうえで、それに次のような
 注を付していた。(以下、Webに続く)

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  ●連載〈心霊現象の解釈学〉第4回●
   少女が死霊に取り憑かれるまで――妄想「累ヶ淵」

  広坂朋信  
  http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/sinrei-4.html
  夏場なのでどうあっても幽霊を出したいところである。この連載コラムは、
 カント、ヘーゲルエンゲルスと来たのだから次は順当にいったらベルクソン
 あたりなんだろうが、赤毛ものばかり続くのも少し飽きてきたところだ。それ
 に、夏の幽霊と言えば日本の風物詩であるから、今回はがらりと趣向を変えて
 日本の幽霊を出したい、いや、お出でいただきたい。ということで、ハイ出ま
 した、出ていただきました。どなたかというと、「累ヶ淵」の累さんである。
 ルイじゃありませんよ、かさね、と呼んでください。実在した人物ですから
 ね、失礼のないようにしたいものです。(以下、Webに続く)

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  ●連載:哥とクオリア/ペルソナと哥●
   第21章  水なき空のメタフィジィク・下句
        ──ラカン三体とパース十体(急ノ伍)
 
  中原紀生
  http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/uta-21.html
  ■修辞から境地へ─第二のメタフィジィク
  これより、定家十体をめぐる『初期歌謡論』の議論を駆け足で、いわば「ク
 イック・フォックストロット」のリズムでもって見ていきます。が、その前
 に、議論の前提となる事柄をひとつ、確認しておきます。
  前々章で引いた文章のなかで、吉本隆明氏は、壬生忠岑の和歌体十種と定家
 十体との「二世紀半ほどのあいだに、歌をつくることは、表現を媒介にしてあ
 る心の境地を、いいかえればメタフィジィクを獲得することだというところに
 踏みこんでいったのだ」と書いていました。(以下、Webに続く)

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  ●連載「新・玩物草紙」●
   記憶遺産/破れた世界と、ヴェルテップ

  寺田 操
http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/singanbutusousi-7.html
  2011年5月、ユネスコの「世界記録遺産」に登録された山本作兵衛の筑
 豊炭鉱画は、地下労働者の生活がリアルに描かれた貴重な生活記録であった。
 記録遺産とは、人々の営みを記録した歴史的な文章の保存を目的として
 1992年にはじまり、アンネの日記など76ケ国190件以上が登録されて
 いる。
  炭坑産業の記録は、政府の公文書や企業の記録として残っている。何しろ
 「石炭なくしては国家の発展はなく、文化の興隆はありません」などと言った
 国家エネルギー・プロジェクトだったのだから。けれども、実際に炭坑の現場
 で働いていた労働者のリアルな行為は、ここでは記述されてはいないだろう。
 わたくしは『まっくら―女坑夫からの聞き書き―』(森崎和江著・山本作兵衛
 画/1970・8/現代思潮社)で、炭坑産業とそこで働き暮らす人々の記録
 と文化を知った。それにもまして山本作兵衛が92歳で亡くなるまで描いた2
 千枚近い絵は、実際に現場にいた者にしか分からない死と隣り合わせの地下世
 界を、精緻なタッチで伝達してくれた。(以下、Webに続く)

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 神話劇を見る視線
 
  広坂朋信(コメント:岡田有生)
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  岡田有生氏の前回の論考は、今村仁司の第三項排除効果論を取り上げて、深
 く鋭く問い直すものだったが、私は山口昌男スケープゴート論について浅薄
 かつ散漫におしゃべりしてみたい。一知半解の駄弁を読む暇のない方は、本稿
 に寄せられる岡田氏のコメントにだけ眼を通していただければ結構かと思う。
 以下、御用とお急ぎのない方だけお付き合いいただこう。
 
 今村仁司の二つの注
  さて、今村仁司はその著書『暴力のオントロギー』の最終章で「供犠(サク
 リファイス)の論理は、エディプス・コンプレックス、象徴的父親殺し、象徴
 的自殺、象徴的近親相姦ないしナルシシズム、さらにはヒトラーの政治神話的
 戦略にいたるまで、種々の形態をとりうる」としたうえで、それに次のような
 注を付していた。(以下、Webに続く)

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  ●連載〈心霊現象の解釈学〉第4回●
   少女が死霊に取り憑かれるまで――妄想「累ヶ淵」

  広坂朋信  
  http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/sinrei-4.html
  夏場なのでどうあっても幽霊を出したいところである。この連載コラムは、
 カント、ヘーゲルエンゲルスと来たのだから次は順当にいったらベルクソン
 あたりなんだろうが、赤毛ものばかり続くのも少し飽きてきたところだ。それ
 に、夏の幽霊と言えば日本の風物詩であるから、今回はがらりと趣向を変えて
 日本の幽霊を出したい、いや、お出でいただきたい。ということで、ハイ出ま
 した、出ていただきました。どなたかというと、「累ヶ淵」の累さんである。
 ルイじゃありませんよ、かさね、と呼んでください。実在した人物ですから
 ね、失礼のないようにしたいものです。(以下、Webに続く)

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  ●連載:哥とクオリア/ペルソナと哥●
   第21章  水なき空のメタフィジィク・下句
        ──ラカン三体とパース十体(急ノ伍)
 
  中原紀生
  http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/uta-21.html
  ■修辞から境地へ─第二のメタフィジィク
  これより、定家十体をめぐる『初期歌謡論』の議論を駆け足で、いわば「ク
 イック・フォックストロット」のリズムでもって見ていきます。が、その前
 に、議論の前提となる事柄をひとつ、確認しておきます。
  前々章で引いた文章のなかで、吉本隆明氏は、壬生忠岑の和歌体十種と定家
 十体との「二世紀半ほどのあいだに、歌をつくることは、表現を媒介にしてあ
 る心の境地を、いいかえればメタフィジィクを獲得することだというところに
 踏みこんでいったのだ」と書いていました。(以下、Webに続く)

  ----------------------------------------------------------------

  ●連載「新・玩物草紙」●
   記憶遺産/破れた世界と、ヴェルテップ

  寺田 操
http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/singanbutusousi-7.html
  2011年5月、ユネスコの「世界記録遺産」に登録された山本作兵衛の筑
 豊炭鉱画は、地下労働者の生活がリアルに描かれた貴重な生活記録であった。
 記録遺産とは、人々の営みを記録した歴史的な文章の保存を目的として
 1992年にはじまり、アンネの日記など76ケ国190件以上が登録されて
 いる。
  炭坑産業の記録は、政府の公文書や企業の記録として残っている。何しろ
 「石炭なくしては国家の発展はなく、文化の興隆はありません」などと言った
 国家エネルギー・プロジェクトだったのだから。けれども、実際に炭坑の現場
 で働いていた労働者のリアルな行為は、ここでは記述されてはいないだろう。
 わたくしは『まっくら―女坑夫からの聞き書き―』(森崎和江著・山本作兵衛
 画/1970・8/現代思潮社)で、炭坑産業とそこで働き暮らす人々の記録
 と文化を知った。それにもまして山本作兵衛が92歳で亡くなるまで描いた2
 千枚近い絵は、実際に現場にいた者にしか分からない死と隣り合わせの地下世
 界を、精緻なタッチで伝達してくれた。(以下、Webに続く)

Web評論「コーラ」16号

ブログは、すっかりご無沙汰です。

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 ●現代思想を再考する3
グラフスの微笑―― 宿命と偶然(記号と埋葬2)
 
  岡田有生
  http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/gendaisisou-3.html
 前回の文章では、柄谷行人の論考「ライプニッツ症候群」を参照しながら、
80年代以降の日本におけるいわゆる「現代思想」の重要な特徴を、ライプニッ
ツ的な記号の論理の支配ということに見出そうとし、またその状況が同時代の世
界的な思想の文脈においては構造主義的な思考の覇権という現象の一部として位
置づけられるのではないか、と考えたのだった。
ライプニッツ的な記号の論理の支配」ということを詳しく言うと、歴史性を消
去された透明な項としての個物が、単一の全体の表出と考えられる諸記号(モナ
ド)の体系のなかで関係しあう予定調和的な空間として、社会や事象を捉えると
いうことである。
 そこでは記号は、たとえばデリダが語ったような「意味」の支配を惑乱する形
式的な力として働くことはなく、逆に全体を表出する項であるかのように機能す
ることで、その機能の場(市場、思考空間、公共空間)の同一性についての信憑
を、言い換えれば、「全体」なるものが確固として存在しているというイデオロ
ギーを、密かに支え強化するものとして働く。 (以下、Webに続く)

                                                                                                                            • -

  ●連載〈心霊現象の解釈学〉第3回●
   先端科学と超常現象

  広坂朋信  
  http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/sinrei-3.html
 もともとは心霊現象をめぐる思想史上のエピソードを面白おかしく紹介しよう
ということで始めたコラムなのだが、初回は東日本大震災にうろたえ、二回目は
旧友の死の衝撃から立ち直れずに、それらの言い訳から書きはじめることになっ
てしまった。しかし、さすがに三回目の今回は私の怠慢以外の言い訳の種も尽き
たので、いきなり本題に入る。
 前回、ヘーゲルが人相学や骨相学に鉄槌をくだす場面を紹介した。
 ヘーゲルは『精神現象学』で「人相学者の横っ面を張り倒せ、骨相学者の頭蓋
を叩き割れ」と、当時流行したトンデモ科学を威勢よく罵倒していた。そして、
ある意味で彼の後継者ともいえるエンゲルスが磁気骨相学のトリックを暴き、交
霊術に夢中になる自然科学者たちの無邪気さを冷笑するのも見た。エンゲルス
言葉を繰り返そう。 (以下、Webに続く)

                                                                                                                            • -

  ●連載:哥とクオリア/ペルソナと哥●
  第20章  水なき空のメタフィジィク・上句
       ──ラカン三体とパース十体(急ノ肆)
 
  中原紀生
  http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/uta-20.html
 ちくま学芸文庫版『初期歌謡論』のあとがきで、著者は、この本を書くことで
いったい何をしたかったか、その二つののモチーフをみずから明かしています。
 ひとつは、「『記』『紀』の歌謡からはじまり『古今』の成立によって確かに
なった和歌形式の詩を、発生の起源から形式の成立まで、歌謡という統一的な概
念でたどってみたかった」というもので、この課題については、第?章「和歌の
発生」と第?章「歌謡の祖形」、そして第?章「和歌成立論」で論じられます。
「歌謡の発生の起源から和歌形式の成立までを、初期の歌謡として連続させなが
ら統一的に論ずるのが、わたしの願望だった。この方法は賀茂真淵折口信夫
徴候を見つけだすことができる。この本の方法は両家にたくさんの恩恵をうけ
て、系譜の見方をすればこの系統をひいている。」
 もうひとつのモチーフは、「わが国の詩の理論の書とみることができる初期の
歌論書を、もっと理論化してみたかった」というもの。具体的には、「平安期の
歌論書が説いている歌体の類別を解剖することと、歌枕とか枕詞のように景観と
地名とのあいだや事物と冠辞とのあいだの固定した言葉の慣習(いわゆる
「枕」)を解剖すること」の二点で、「かけねなしに難しい」これらの主題に、
著者は、第?章から第?章まで、「枕詞論・正続」および「歌体論・正続」の論述
を通じて、「できるかぎりの力能」をもって肉薄します。(以下、Webに続く)

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  ●連載「新・玩物草紙」●
  水の地図/紅 茶

  寺田 操
http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/singanbutusousi-6.html
 小説や詩で登場する知らない地名があれば地図で探すのはとても楽しい作業
だ。近頃は主人公たちの生活範囲や足跡を辿れるような仕掛けも増えてきた。し
かし、それらが現実の災厄に関わってくるとなれば、地図を見る楽しみはいきな
り現実的な痛い扱いに変わる。
 春3月の東北大震災に続き、豪雨を道づれに秋台風がなんども列島を襲った。
各地の河川を氾濫させた豪雨は、濁流や土砂が人々や家屋を呑みこみ、地形を大
きく崩した。自宅周辺の地形が気になり、ハザード・マップを広げてみると、2
方を山に抱かれた山麓のマンションは、土石流災害の危険地区なので愕然とし
た。(以下、Webに続く)

Web評論誌『コーラ』15号のご案内

久方ぶりの更新です。
みなさん、お元気ですかあ〜。

 ■■■Web評論誌『コーラ』15号のご案内■■■

 ★サイトの表紙はこちらです(すぐクリック!)。
  http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/index.html

 ●現代思想を再考する2●
 ヘーゲルの「不在」が意味するもの――記号と埋葬1
 
 岡田有生(コメント:広坂朋信)
 http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/gendaisisou-2.html
前回のおさらいから始めたいのだが、掲載されたST氏の論文では、デリダの諸論文における「継承」のテーマの内容が整理され、そこでは「現在の同一性への閉塞」ということが「継承」を困難にするのだという認識が提示されていることが語られていた。
このアポリアは、まさに先程私たちが見た現在の同一性の閉塞で あり、隔たりを解消しようとする継承の考え方である。つまりこ のアポリアを私たちは継承の問題として読むことができる。すで に構成された点的瞬間の幅を持たない現在(そしてその継起とし ての時間)を想定すると、未来は未だ存在しない非−存在者とし て、あるいは絶えず点的現在に引き戻される(隔たりの解消)べきものとして考えられ、現在の閉塞に陥り、結局未来への継承が不可能になる、あるいは時間は存在しないものとなる。
また、この「現在の閉塞」は、デリダが取り組んだ西洋の形而上学の文脈においては、「意味」の支配と呼べるものに結びついていること、それは存在者のみならず「存在」という概念を「現前」として扱う態度(ハイデガーを指す)にも深く関わっているのだという、デリダの考えが示されたのである。
このように整理されるデリダの考えは、たとえば「記憶」という事柄については、次のように表現できるものとされる。(以下、Webに続く)

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 ●新連載〈心霊現象の解釈学〉第2回●
 単なる経験の範囲内における心霊現象

 広坂朋信  
 http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/sinrei-2.html
前回、カント『視霊者の夢』について面白おかしく書くつもりが、東日本大震災の衝撃にうろたえて中途半端なものに終わってしまった。
幸い挽回の機会を与えられたので、今度こそ面白おかしく書こうと構想を練り始めた矢先、まことに私的な事柄で恐縮だが、長い付き合いの大切な友人の訃報が届き、それに私はすっかり打ちのめされてしまって、それからしばらくは悲嘆にくれるばかりで何も手をつけられなかった。半年ほどたった頃、ようやく黒猫編集長との約束を思い出してキーボードを叩きはじめたのだが、どうしても喪の気分が抜けず、またもや面白くもおかしくもないメモを提出することをお許し願いたい。(以下、Webに続く)

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 ●連載:哥とクオリア/ペルソナと哥●
 第19章 哥の現象学あるいは深読みの愉悦
 ──ラカン三体とパース十体(急ノ参)  
 
 中原紀生
 http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/uta-19.html
前章で、佐々木中著『野戦と永遠』から、その一節を孫引きした中井久夫氏の「「創造と癒し序説」──創作の生理学に向けて」(『アリアドネからの糸』所収)に、「文体の獲得」なしに創作行為はなりたたないと書かれています。

《なぜなら、まず、文体の獲得なしに、作家は、それぞれの文化
の偉大な伝統に繋がりえない。「文体」において、伝統とオリジ
ナリティ、創造と熟練、明確な知的常識と意識の閾下の暗いざわ
めき、努力と快楽、独創と知的公衆の理解可能性とが初めて相会
うのである。これらの対概念は相反するものである。しかし、
その双方なくしては、たとえば伝統性と独創性、創造と熟練なく
しては、読者はそもそも作品を読まないであろう。そして、「文
体」とはこれらの「出会いの場」(ミーティング・プレイス)で
ある。》

中井氏はつづけて、二十世紀後半の文学の衰微は、「文体」概念を「テクスト」概念に置換したことにある(「それによって構造主義は既成テクスト…の精密な分析にすぐれる一方、第一級の文学を生産するのに失敗した。」)とし、また、無意識は言語のように、あるいは言語として組織されているというとき、ラカンが言語をもっぱら「象徴界」に属するものとして理解していたことを惜しみ、さらに、文体獲得の後にはじめて、言語は作家のなかで四六時性をもつことになるのだと論じ、そうして、あらためて「文体」とは何かと問います。(以下、Webに続く)

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 ●連載「新・玩物草紙」●
 声/黒い靴

 寺田 操
http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/singanbutusousi-5.html
人は誰もが現実社会で起こる出来事とは無縁に生きられない。津波地震原発と、春3月の未曾有の東日本大震災においても、誰もが圧倒的な現実の凄さに打ちのめされながら、声を、言の葉を求め、発語へと突き動かされた。圧倒的な力を発したのは、繰り返し繰りかえし流れた金子みすゞの童謡詩《こだまでしょうか、いいえ、誰でも》や、宮沢章二《心は誰にも見えないけれど/心遣いは見える》などのAC公共広告。また、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」、和合亮一ツイッターでの《放射能が降っています。静かな夜です》「詩の礫」。
なにげなく過ごしてきた日常がとつぜん断ち切られ、非日常へと呑まれていくことは、1995年の阪神淡路大震災で体験したのだが、津波の映像を見て怖くて泣いた、身体が震えた。三陸海岸の地図が、目に見えない放射能が夢のなかまで追いかけてきた。(以下、Webに続く)