第4回:哲学系読書会(仮)のお誘い

第4回(1月28日)は、ソシュール『一般言語学講義』の「第3部:通時言語学」と第3(2)部と第4(3)部への付録」も併せて、山本が報告します。
それで、当日でこの範囲完了したいので、開始時間を30分早めて17時半からの開始といたしますので、お間違いなきようにお願いします。

■日時:2020年01月28日(火)17時半より21時半まで
■報告:山本
■会場:大阪市/北区民ホール・第3会議室(TEL.06-6315-1500) 
     地図:https://www.osakacommunity.jp/kita/access.html
■課題書:『新訳 一般言語学講義』(町田健訳・研究社)を5回に分けて読解します。新訳は訳に問題がありますので、旧訳の小林英夫・訳と併読しています。
■読書会のHPを開設しました(いずれレジュメ等をアップする予定)。
 http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/dokusyokai.html

★参加者はレジュメの都合がありますので、前日までにメールでの意思表示をお願いします。
 e-mail:sougetssyobouアットマークmx5.canvas.ne.jp (山本まで)
★途中参加歓迎

なお、「第1部第3章:静態言語学と進化言語学」は、通時言語学の読解/読み直しとて重要な論点が出ていますので、おさらいする予定です。
「原資料」発掘以降のソシュール読み直しにおいて、進化言語学=通時言語学の論点は共時言語学構造主義)を越える「ポスト構造主義」の論点を読み取ること が可能だと言われています。
つまり、ソシュール構造主義の祖にして「構造主義者」に非ず、ポスト構造主義の祖でもあるというところでしょうか?

■参考文献
「第3部」を読むための参考文献として、
ソシュールを読む』(丸山圭三郎) の第6講15「構造と歴史」、第8講21「時間のファクター」が、参考になります。
 また、
『現代言語論』(立川健二・山田広昭/新曜社,1990年)
『≪力≫の思想家ソシュール』(立川健二書肆風の薔薇=現・水声社,1986年)
がお薦めですが、後者は現在絶版ですので、図書館・古書でお探しください。
★『現代言語論』のソシュールに関する項目が、『≪力≫の思想家ソシュール』のダイジェスト版という感じです。

なお、立川によれば、
「丸山(圭三郎)の『講義』批判は極端であり、『講義』がソシュールの思想をまったく伝えていないというのは嘘であり、こまかく見ていけば誤解を与える表現が多いということにすぎない。しかしながら、ソシュールの思想を研究 するものにとっては「原資料」のほうがより多義性にみちたテクストであるこ とはたしかだし、ソシュールのをひとりの「思想家」として読むという視点を 可能にしたのは、なんといっても丸山の功績である。」(p.34~35,『現代言語 論』)

「……表意的差異のシステムとしての共時態の地平にとどまっていたならば、 ソシュールはひとりの正統構造主義者で終わっていたことだろう。だが、彼 は、<聴く主体の意識>を逃れ去る言語の変化・運動の相を理論の対象にするこ とによって、その地平を越えていったのである。ここで、問題になるのは、共時態の生成と解体の運動の様態としての通時態にほかならない。それを彼は、 意味・現前性(共時性)・共同体につなぎとめられた<聴く主体の意識>を批判 し、フロイト的な無意識を想定するとともに、古典物理学的な等質的な時間概 念をしりぞけ、差異化としての時間を考えることによって、見出したのである。通時態とは、共時的な記号システムに還元されない出来事たちが、主体の意識に到達しないところで刻々と生起している、生成と解体の場だ。しかし、
これもまた、共時態と同様に実体ではなく、差異の場である。ただ、決定的な違いは、共時態が固定した等質的差異、すなわち対立のシステムであるのに対して、通時態は不等質的な動く差異の戯れだということである。ソシュールの出来事と呼ぶのは、この<動く差異>の出現あるいは消滅のことにほかならない。そして、こうした差異化の出来事たちは、目的も方向ももたない盲目的な運動しつつある力によって引き起こされているのだ、とソシュールは考えた。
この無意識的な複数の<力>たちが、主体のたちの意識しないうちに、言語・記号システムを解体し、予期できない方向ヘと変容させていくというのである。」 (p.37~39,『現代言語論』)

『講義』第3部を読む限りでは、以上のような解読には至るのは難しいと思われますが、その萌芽は読みとれるように思います。
原資料において、ソシュールは「定義:通時的次元とは諸価値の変動のことであり、それは表意単位の変動」としていますが、これを立川は「<動く差異>」と捉えているのでしょう。