Web評論誌『コーラ』25号のご案内


予定通り、2015年4月15日に発行いたしました。
ご高覧いただけますと、幸いです。
さて、安倍晋三政権はますます憲法9条の拡大解釈(解釈改憲)に邁進、過日の報道では国会の事前承認も得ずに「自衛隊」の海外派遣を行おうと日米で画策している模様です。
今秋あたりには、いよいよ憲法「改正」の一手を打ってくるでしょう。
それに対応して当局によるマスコミ等への「報道規制」の圧力も増加していくでしょうが(すでにかなりの圧力がかけられ、すでに右傾化しているとも言えますが)、彼らは果たしてどこまで持ち堪えられるのでしょうか?
本誌は、今号より「戦後レジームからの脱却」などというイカサマの「近代の超克」を批判する連載を開始します。

 ■■■Web評論誌『コーラ』25号のご案内(転載歓迎)■■■

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 ●新連載<前近代を再発掘する>第1回●
  花田清輝の「近代の超克」について

  岡田有生・広坂朋信

  http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/zenkindai-1.html
  私たち(岡田有生と広坂朋信)は、「近代の超克」と呼ばれるテーマを再検
 討してみたいと思い立った。再検討というのは、昭和戦中期になされた「近代
 の超克」座談会とその周辺の思想については、先人たちがそれぞれの視点から
 詳細に検討した優れた成果がすでにあるからだ。
 たとえば、竹内好『近代の超克』(筑摩書房)、廣松渉『〈近代の超克〉 
 論』(朝日出版社講談社学術文庫)、子安宣邦『「近代の超克」とは何か』
 (青土社)があり、最近ではハリー・ハルトゥーニアンの大著『近代による超
 克』(岩波書店)も訳された。私たちには、これら大家たちによる思想史研究
 に新しい論点を付け加えようという野心はない。  
  私たちの関心は「近代の超克」と呼ばれるテーマが私たちに問いかけてくる
 ものにどうこたえるかということに尽きる。具体的には、前近代の文化や反近
 代の思想のなかに、解釈的に再構成されたものとしてではあれ、ある種の近代
 批判の契機を掘り起こすことで、「近代の超克」と僭称される悪しき日本型近
 代主義の運動に対抗していくことは可能か? この課題は「戦後レジームから
 の脱却」などというイカサマの「近代の超克」がのさばっている今、取り組む
 にあたいするものだと信じる。(以下、Webに続く)
 
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 ●書評●
  従軍慰安婦問題の本質を名指すこと
  『慰安婦」問題の本質――公娼制度と日本人「慰安婦」の不可視化』
   (白澤社)
  
  野原 燐

  http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/syohyou-25.html
  慰安婦問題の原点は、1991年8月の韓国での金学順さんのカミングアウ
 トにある。藤目ゆきのような各国のフェミニストだけでなく、当の元「従軍慰
 安婦」当事者にもその衝撃は伝わった。フィリピンではある女性(ロラ・ロサ
 さん)がカミングアウトした。藤目は「感激してロラ・ロサに会いに行き、そ
 の後三年をかけて自伝の執筆を手伝い、一九九五年に『ある日本軍「慰安婦
 の回想――フィリピンの現代史を生きて』(岩波書店)を出版した。」(p4)
 私が藤目の名前を知ったのは図書館でこの本を借りて読んだからだ。もうずい
 ぶん前のことだ。従軍慰安婦問題というと、韓国人元慰安婦がクローズアップ
 されることが多いが、フィリピンやインドネシアなどの状況は、韓国人の場合
 ともかなり違い、システム化された慰安婦制度からはみ出る分、より露骨な人
 権侵害が多いことを、知ることができる。(以下、Webに続く)

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 ●連載:哥とクオリア/ペルソナと哥●
  第33章 自己表出と指示表出の織物─和歌のメカニス4

  中原紀生

  http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/uta-33.html
  ■土をこねて一生を使いはたす生き方
  はじめに、前章の最後で、和歌の表現における「自然の事物事象の多出」 
 をめぐって書いたことに、若干の補足をします。
  ……自然曼荼羅における事物事象群は、自然記号としての「コトバ」であ
 り、かつ、いま・ここに現象する思ひとしての「ココロ」であり、それらは
 同時に、クオリア的実在としての「モノ」そのものである。つまり、自然曼
 荼羅こそ、和歌をなりたたせる「物・心・詞」の三つの要素を束ねる窮極の
 アソシエイションである。
  そうしたアソシエイションの優位のもとで遂行される「やまとうたの思想」
 にあって、「よろづ」と「ひとのこころ」と「ことのは」は、自然曼荼羅のう
 ちに水平的交換と垂直的映現の関係をきりむすぶ。和歌を詠むとは、そのよう
 な、「モノ=ココロ=コトバ」となって自然曼荼羅を現出させる高次の位相に
 おける事物事象を詠むこと、あるいは自然の事物事象が自らを詠みいだすこと
 にほかならない。……(以下、Webに続く)

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 ●連載「新・玩物草紙」●
  消える仕掛け/凍った言葉

  寺田 操

http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/singanbutusousi-15.html
  ボルヘス『砂の本』(集英社文庫/1995・11)は何度も読みたくなる
 短篇集。表題の「砂の本」は絶品だ。神聖な本をお目にかけられると男から声
 をかけられた。開いた1度目はページ数がでたらめに並び、ペン書きの稚拙な
 錨の絵が挿入されていた。2度目に開いたときは、どこをめくっても錨の絵が
 でてこない。3度目は、表紙と親指のあいだに何枚ものページがはさまり、湧
 きだす感じで、最初のページも最後のページもみつけられない。男は「この本
 のページは、まさしく無限です。どのページも最初でなく、また、最後でもな
 い」と言った。高額で入手した主人公は、家にこもり本のとりこになるが、や
 がて本が怪物と気がつく。火も考えたが、退職する前に勤務していた国立図書
 館の棚のひとつにかくした。 (以下、Webに続く)