忌野清志郎を悼む。

何とも早すぎる死ではないか。
僕より少し年長の清志郎の生き方というか、その態度は憧れだった。僕に音楽的才能がもっとあれば、いちばんなりたかった職業はミュージシャンだ(なんと〜!!!)

さいきんはあまり行かなくなったカラオケだが、カラオケの最後は「雨上がりの夜空に」だった。これで「キメテ」帰るのが、気持ちよい「終わり方」だった。清志郎もそのように終わったのだろうか……。
若い頃の清志郎の演奏画像を貼り付けておく。合唱/合掌。
個人追悼集会をモニタの前で行っている。全国の同志もモニタの前に結集せよ!

megawattさん経由で知った、音楽評論家吉岡さんの追悼文が印象深いのでリンクしておく。

言葉がわからなくとも、スティーヴ・クロッパーはその歌声に涙する。それは、清志郎の音楽にソウルがあり、そのソウルの塊がクロッパーにも強い衝撃で伝わるからだ。(そんな解説はヤボ、この映像を見ればわかる。ただ、映像を見られない人のために) オーティスのところを今、清志郎に変えて聴きたい気分だ。


最後にブルーノートで見たブッカーTの飛び入りのエンディングで、清志郎は「ありガット、ガット、ガット…」と叫んだ。清志郎さん、素晴らしい音楽をありガット、ガット、ガット! 


これで清志郎さんもゆっくりオーティスとソウル談義ができるだろう。


http://blog.soulsearchin.com/archives/002908.html

そこで紹介されている、『オーティスが教えてくれた』 忌野清志郎、スティーヴ・クロッパー(作・忌野清志郎)が、素晴らしい。