長居公園行政代執行の当日


すぐにアップしようと思ったが久しぶりのスクラムで疲れたので、他の方々のブログを参照しながら一日遅れの僕なりの当日の状況認識と感想を書く。

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当日の朝、7時半頃に現地に着いた。地下鉄・長居駅を出るとすぐ目の前が長居公園、公園入口前で支援者の若い人たちがビラを配っていたのでビラを貰いながらテント村を目指した。
すでに多くの支援者(最終的には150人から200人ほどになったらしい)とマスコミ報道関係者が集まっていたので、その場所はすぐにわかった。
この時点ではまだフェンスは張られていないので簡単に中に入れたが、テント村は公園南側端にあってその背後に植林された樹木で日陰になっているので、日当たりが悪くとても寒い。僕は足踏みしながら暖をとるが、このような状況で路上生活している人々の辛さは僕の想像を超えているだろう。

テント村の中央には(後で分かるのだが)「舞台」が設えていて、その付近を僕は個人参加で知人もいないので独りウロウロしていたが、釜ヶ先で支援活動している神父やシスター、研究者らしき人たち、学生、労働組合のメンバーらも支援に来ていた。他には、ミュージシャンのヒデヨヴィッチ上杉さんや「旗旗」の草加耕助さん(ブログでいぜんコメントを頂戴したが、僕ははじめてこの場で現認、「旗旗2号」*1が目印になった)らのお顔が見えた(その後、地面に座り込んでスクラムする時に偶然mojimojiさんと眼が会い「いやあ」と軽い会釈)。

そうこうしている内に、8時半頃になると東のほうから市職員とガードマンの一団が現れ、テント村一帯を工事現場等でよく見かける黄色いフェンスで包囲し始めた。
その後当局側は、マスコミ関係者の退去を求め、予め指定していたらしいフェンス外側からの撮影・取材に制限した。このことは重大な「報道規制」ではないか! なぜマスコミは抗議しないのか!?
だが、支援者側によるビデオカメラやデジカメの撮影はフェンス内では規制されなかったので、市職員との攻防を逐一間近で写し撮っていた。
僕が陣取っていた付近でも、携帯電話のカメラを利用して逐次写真とコメントを電送していた人がいたが……。
その方の写真がどうかは不明だが、「釜パト」のブログには時系列に写真入りで紹介されている。また「研究者声明」をつくった人たちが、昨日の記録をネット上にあげているほか、マスコミ報道の取り挙げ方を比較しやすいようにリストも作成されたので、そちらも併せてご覧いただきたい。


また当日の様子は草加耕助さんのブログ(速報版)が詳しいので、そちらをご覧いただきたいが、一部引用させていただく。

さて、抗議行動ですが、朝になって市の職員が集まりだしたところを見計らって、一番手前にあったテントの屋根(ブルーシート)がはがされはじめました。「野宿者が自分でテントを撤去しはじめたのか?」と言えば、さにあらず、なんと、シートの下からは、今まで隠されていた芝居用の舞台(櫓)が姿を現したのです!こんなものを極秘に作っていたとは!

 そして居並ぶ市の職員、ガードマン、報道陣、野次馬、支援の人々を前にして、舞台の上では今回排除される人々による寸劇がはじまりました。さすがに「女優」は支援の人のようですが、順番に排除当事者の人達が主役になって、大阪市を風刺し、ホームレス問題を訴える劇が次々と上演されていきます。基本的にはドタバタ喜劇風ですが、脚本から衣装、メーキャップ、小道具にいたるまで、すべて排除される当事者の皆さんの手作りです。

 支援団体の人々は、舞台の下を3重のスクラムで座り込んで守っています。その数約50人。さらにその外側に私達のような個人参加の人々がいるという感じ。支援側は総勢約200人。市側の排除部隊は約500人くらいです。

実は当事者の方々は、自分たちがすべてを奪われて追い出されることを覚悟していました。そして長年住み慣れた長居を後にする最後の最後に、自分たちの思いを精一杯表現する行為として選んだのが、単なる「阻止行動」によるぶつかりあいではなく、この「芝居」だったのです。
これこそが、非暴力不服従と、当事者の思いを優先する「長居スタイル」そのものでした。事前に私たち支援が決めたことは、「無用な衝突で逮捕者や怪我人を出さない」ということと、そして「何が何でもこの芝居が終わるまでは舞台を守って持ちこたえよう」ということの二つでした。
http://bund.jp/modules/wordpress/index.php?p=333

ここに引用した箇所は、「長居スタイル」と言われる抗議行動を象徴している。行政に対して彼ら(野宿者)は何度も「話し合い」を求めたのに、当局はそれに一切応答することもなく人間扱いをしてこなかった。*2
そして当日の非人間的な<強制排除>行動に対して、彼らは怒りや思いを「寸劇」という人間的営為で応じ、かつ一貫して非暴力不服従の抵抗を成し遂げたのだ。
支援者らの抗議の言葉も「今からでも遅くないから話し合おう」「こんな嫌な仕事(強制排除)を辞めて職場放棄をしよう、その権利はあなたたちにある」「上からの命令ならなんでも従ってよいのか」など、末端の市職員に対話を呼び掛ける、きわめてまっとうな人間的な対応だったのだが、彼らは壁のように黙して支援者らの包囲を縮めながら、その瞬間を待っていた。*3また、その包囲の外側には臨時雇いと思しき老齢のガードマンの隊列が取り巻く……。


労働者同士*4を分断して「偽の敵対空間」*5を出現させているのは当局ではあることは間違いないのだが、支援者らの呼び掛けに応えて市職員らが職場放棄するという「奇蹟」*6は起こらなかった。このことの意味は大きい。自分が同じ立場に置かれた場合の想像力をもって、自らの問題としても反省しなければならないと思う。


そして11時過ぎに、舞台を取り囲みスクラムで防衛していた隊列に市職員らは襲いかかり牛蒡抜きを開始したのだ。僕は、思わず「がんばれー」と気合いの言葉をかけながらなんとかスクラムを死守できたが、近くの何人かは酷く手荒に引き抜かれていくのが見えた。これ以上の混乱を避けるため、リーダーの賢明な判断からスクラムをしたままその場所を離れ、僕らは舞台を明け渡した。


だがこれは「敗北」であるが、敗北ではない。
草加耕助さんが書かれているように、「無用な衝突で逮捕者や怪我人を出さない」ということと、そして「何が何でもこの芝居が終わるまでは舞台を守って持ちこたえよう」ということの二点を獲得できたことは、「勝利」と言ってよいのかも知れない。
[追記]……と書いたものの、にわか支援者の僕にそれを語る資格はないだろう。


僕はこのスクラムの中にいて、この「寸劇による祝祭空間/解放区」の出現と非暴力不服従による異議申し立てに感動していたが、このような現場の実態がマスコミ報道では伝えられていないのだ。やはり、その場にいないと分からないことは多いとつくづく実感した。
僕らはよくよく反省しなければならない。それは予断や無知(知ることへの怠慢も含めて)、それに基づく空想で、他者のことを自分に都合のよいように理解判断して<排除>してしまうことだ。そのことの危険性において繊細に敏感であらねばならないと改めて確認した。


さて当日のことについて、上記で引用した以外のブログを幾つか紹介しておこう。
mojimojiさんの「長居公園、行政代執行」http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20070205/p1
Arisanさんの「長居から戻って」http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20070205/p1
”じろりろぽん”さんの日記http://bund.jp/modules/wordpress/hata3498756.php/334
あんずさんの「強制排除される人々」http://miteikou.exblog.jp/4527491/

釜ケ崎と福音―神は貧しく小さくされた者と共に

釜ケ崎と福音―神は貧しく小さくされた者と共に

*1:手作りオリジナルのコロ付きの携帯型拡声器

*2:この抗議運動の渦中に郵便物が二通届いた。それは仙台と山口からの支援声明と反対署名でその場で読み上げられたが、郵便局は彼らを居住者と認め人間扱いしている。

*3:僕は膝を痛めていたのでスクラムを組んで地面に座り続けるのが限界にきていて、来るなら早く来てくれという思いもあった。また、どこからともなく差し入れのパンが巡ってきて和む場面もあった。

*4:野宿者の方々は生活者であり、何らかの労働によって日々の糧を得ている。断じて労働者であり、むしろ低賃金重労働者である。もっと普遍化して「生きていることは、労働だ」と言ってもよいのではあるまいか!

*5:「偽の敵対空間/関係」は様々な場面で仕組まれ出現しているが、この空間/関係の組み換えこそが「過程としての革命」かも知れず、僕らの切実な課題だ。

*6:「奇蹟」と書くことは、すでに「贋の敵対関係」を認めてしまってたことになるのか?