「路上をアピールの場にすること」

久々の更新です。
ネットもよいが、ネットだけでは足りない何か?
それは、なんでしょうか? 不可視化されているものを<リアルの場>で可視化することのその圧倒的存在感?
また可視化によってその「見られる自分」と「見ている/見てしまった、あなた」が問われることの有効性なのか?

第7回辺野古カフェのお知らせです。
転載大歓迎です。よろしくお願いします。

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第7回辺野古カフェ 「路上をアピールの場にすること」

日時:9月26日(土) 18:30〜20:30 
場所:Salon de AmanTO(中崎町
参加費:無料(1 drink order)

沖縄県辺野古基地問題を訴えるための街頭アピールがいろんな場所で行なわれています。
今回の辺野古カフェは田中菜穂子さん(東京藝術大学研究生)をゲストに迎え、「路上の可能性」について考えてみたいと思います。

路上は重要な公共空間です。
いま京都大学では元非常勤職員が時計台前広場に「くびくびカフェ」を開設し、雇い止めの撤回を求めています。
琉球大学では実質的に語学の授業を半減させる新カリキュラムに反対し、学生が図書館前にテントを張って座り込みを行ないました。

なぜ路上でアピールをするのか――
それは、不可視の存在とされている者たちが、
その身体を通して争点を提示しようとするからではないでしょうか。

争点化されない基地問題を訴えるために
さまざま場所でいろんなひとが路上に立っています。
公安条例の強化により公共空間が狭められるなか
その路上に立つ身体を通して公共空間を切り開き、
路上を交流の場所にしています。

このような実践例として今回の辺野古カフェでは
まずはじめにフランスの劇団「ジョリモーム」の
路上パフォーマンスの記録映像(20分)を上映します。
その後、田中菜穂子さんに研究報告をしていただき、
みんなで「路上をアピールの場にすること」について話し合えればと思います。

田中菜穂子さんの自己紹介文
大阪大学で学士課程・修士課程ともに修了し、2009年4月から東京藝術大学研究生。
こだわっているのは、たのしさと真摯さは共存できる、ということ。
歌ったり踊ったり笑ったりすることが、運動や政治の空間にどんな意味をもたらすのか。
排他的になることなく、ゆったりと人がつながっていくためにはどうすればいいのか。
大きな力をもつものにからめとられず、地に足つけて生きていくにはどうすればいいのか。
といった、研究とも人生の悩みともつかないことをもやもや考えながら、
東京という大都市で暮らしています」

上映作品
「歌は何のために――ジョリモーム路上コンサート」(2005年・ビデオプレス制作)
http://homepage3.nifty.com/videopress/050314jori.html

主催:辺野古カフェ
http://groups.yahoo.co.jp/group/henoko_cafe
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アマントへの行き方
http://yura-ism.com/amanto/map.html
地下鉄谷町線中崎町」4番出口を出て右折。
しばらく進むと済美小学校があり、
さらに進むと「葉村温泉」という銭湯と、黄色い壁のカフェがあります。
その間の路地に入って突き当たりを左折、右折するとカフェがあります。