Web評論誌『コーラ』6号のご案内

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 ■■■Web評論誌『コーラ』6号のご案内■■■


本誌は〈思想・文化情況の現在形〉を批判的に射抜くという視座に加えて、 〈存在の自由〉〈存在の倫理〉を交差させたいと思います。そして複数の 声が交響しあう言語‐身体空間の〈場〉、生成的で流動的な〈場なき場〉 の出現に賭けます。賭金は、あなた自身です。

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 ★Web等での本誌のご紹介も、よろしくお願い申し上げます。

 
 ●シリーズ〈倫理の現在形〉第6回●
  「みんな」にとって公平な運動と社会を創るために
  〜社会運動内部の権力について考えてみる〜
 
  ひびの まこと
 http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/rinri-6.html
 海外では、数万人から場合によっては数十万人が参加する政治的なデモや大衆行動、そして暴動が結構あります。しかし日本では、1000人が集まるデモさえ、そんなに多くはありません。
 まず私は、「なぜ日本の(左派の)社会運動は、こんなにも弱いのだろう か」という問題意識から、この文章を書いています。言い換えると、なぜ日本の社会運動は社会的な信用を獲得できていないのか、ということです。
 もちろんそれには様々な理由があるでしょうが、私がここで考えたいのは、「社会運動と権力」の問題です。それは、社会運動内部における多様性や、運動内部の多数派/少数派の関係のあり方の問題であり、社会運動がその外部に対して持っている影響力に対して責任を引き受ける必要性のことです。こういった問題を考えて取り組んでこなかったことが、日本の社会運動の社会的信用の低さにつながっていると私は思うからです。(以下、本文へ)


★ひびの氏が共同代表も務める関西クィア映画祭は、2009年1月23日(金)〜27日(火)の開催(http://kansai-qff.org/


●連載:哥とクオリア/ペルソナと哥●
 「第7章 哥の伝導体」  
 中原紀生

http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/uta-7.html
 富士谷御杖の表裏境や倒語の説が、隠喩や換喩をめぐるヤコブソンの言語学に先んじていて、その「ことばの屈折」の理論が「ひたぶる心の屈折」の理論と相応じていた点で、御杖はラカンにも先んじていた。前章で取りあげた『仮面の解釈学』のなかで、坂部恵氏はそう指摘していました。
 富士谷御杖の歌論が、二十世紀の構造主義につながる思考を先取りしていたことそれ自体に、はたしてなにほどかの意味があるかどうかについては、慎重な吟味が必要だと思いますが、(というのも、ある思考のかたちが、後から見て、たとえば「構造主義の先駆形態であった」といいうるだけの実質と可能性を孕んでいるものだったとしても、しかし、それがそれとして自覚されないまま世に現われ、あるいは、そもそも自覚されようのない歴史的な文脈のなかで立ち現われ、かつまた、批判と再反論の応酬や創造的誤読などを織り込みながら、後代に受け継がれ様々に分岐していくことなく忘れ去られていったとすれば、後の思考を先取りしていた、と後の時代において意味づけることには、少なくとも人文知のあり方について考える場合、疑問なしとしないからです)、もしも、先駆けていたことそれ自体になにがしかの意味がありうるのだとすれば、ヤコブソンやラカンを先取りしていたといわれる御杖にはるかに先んじて、すでにして貫之の歌論のうちに隠喩や換喩の理論が着想されていた、というのが、「そもそも歌の様式は六つある」に始まる仮名序の歌体論(歌の様式分類)をめぐる尼ヶ崎彬氏の解釈から導きだされる事柄なのではないか。私はそのように考えています。(以下、本文へ)


 ●連載:新・映画館の日々」第6回●
  「〈ホモソーシャルな欲望〉再考(1)」  
  鈴木 薫

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(……)イヴ・コゾフスキー・セジウィックは、しばしば誤解されているように「ホモセクシュアル」と「ホモソーシャル」を峻別してみせたわけではない。セジウィックの著書“Between Men”のサブタイトルは“English Literature and male Homosocial Desire”であり、歴史学や社会科学の用語であって同性からなる社会を意味する「ホモソーシャル」に、あえて「欲望」という語を接続させ、homosocial desireというオクシモロンにしたのだと彼女は述べている。つまり、通俗的な理解とは逆に、「ホモソーシャル」なものに(ホモフォビアに抗して)「ホモセクシュアル」なものを読み込むことこそ、セジウィックの方法であるのだ。(本文より)


 ★「コーラ」への投稿を随時お受けいたしております。
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 発行日:2008年12月15日
 発行元:「コーラ」編集委員会/窓月書房
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