Web評論誌『コーラ』30号

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  ●寄稿●
  マイノリティについて語る倫理
  ――「子どもの貧困」を一例として

  田中佑弥
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  本稿を書こうと思った契機は、「新貧乏物語」の捏造である。「子どもの貧
 困」をめぐる昨今の事象を振り返りながら、まとまりのない文章で恐縮ではあ
 るが、考えたことを書き記したい。
  捏造があった「新貧乏物語」は『中日新聞』による2016年の連載記事であ 
 る。『中日新聞』の検証記事(1)によれば、以下のような捏造があった。

   五月十七日付の名古屋本社版朝刊の連載一回目「10歳 パンを売り歩く」
  は、母親がパンの移動販売で生計を立てる家庭の話。写真は、仕事を手伝う
  少年の後ろ姿だったが、実際の販売現場ではない場所での撮影を、取材班の
  男性記者(29)がカメラマンに指示していた。少年が「『パンを買ってくだ
  さい』とお願いしながら、知らない人が住むマンションを訪ね歩く」のキャ
  プション(説明)付きで掲載された。
   撮影当日、少年がパンを訪問販売する場面の撮影は無理だと判明。少年に
  関係者宅の前に立ってもらい、記者自らが中から玄関ドアを開けたシーンを
  カメラマンに撮らせた。

  また、五月十九日付朝刊の連載三回目「病父 絵の具800円重く」でも記者
 は、「貧しくて大変な状態だというエピソードが足りないと思い、想像して話
 をつくった」。
  報道は正確でなければならないが、本稿で考察したいことはそういうことで
 はない。(以下、Webに続く)
 
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 ●連載<前近代を再発掘する>第6回●
  地獄は一定すみかぞかし

  岡田有生・広坂朋信
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  前置き
  黒猫編集長にさんざんご迷惑をかけ、岡田さんに無理やりつきあってもらっ
 て、脱線を繰り返しながら続けてきたこの企画だが、『太平記』を一通り読み
 終わったので、今回で一区切りとしたい。(広坂)

  天狗太平記(広坂朋信)
  ■鎌倉幕府滅亡の予兆
 『太平記』にはしばしば天狗が登場する。天狗は、歴史物語としての『太平 
 記』の前近代性を際立たせている特徴の一つだろう。
  まず前回取り上げた「相模入道田楽を好む事」(第五巻4)から見ていこ 
 う。
  田楽に夢中になった北条高時が、ある晩、酔って自ら田楽舞を踊っている 
 と、どこからか十数名の田楽一座の者があらわれて、「天王寺の妖霊星を見ば
 や」と歌いはやした。高時の屋敷に仕えていた女中が障子の穴からのぞいてみ
 ると、踊り手たちは、あるものは口ばしが曲がり、あるものは背に翼をはやし
 た山伏姿、つまり天狗の姿であった。
  この場面をどう受けとめるか。高時の舅が駆けつけたときには、怪しいもの
 どもは姿を消していた。畳の上に鳥獣の足跡が残っていたことから、天狗でも
 集まっていたのだろうということになったが、当事者である高時は酔いつぶれ
 ていたので、目撃者は、家政婦は見たよろしく障子の穴からのぞいた女中一人
 だけである。(以下、Webに続く)
 
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 ●連載:哥とクオリア/ペルソナと哥●
  第40章 和歌三態の説、定家編─イマジナル・象・フィールド

  中原紀生
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  ■音象、ネイロ、世界の影
  前章の最後の節で、パンタスマ(虚象)の音楽的効果について簡単にふれま
 した。今回はその補足、というかやや蛇足めいた話題から始めたいと思いま 
 す。
  大森荘蔵著『物と心』に収められた「無心の言葉」の冒頭に、時枝誠記の著
 書(『言語本質論』(『時枝誠記博士論文集』1))からの孫引きで、平田篤
 胤の次の言葉が紹介されています。「物あれば必ず象あり。象あれば必ず目に
 映る。目に映れば必ず情に思う。情に思えば必ず声に出す。其声や必ず其の見
 るものの形象[アリカタ]に因りて其の形象なる声あり。此を音象[ネイロ]
 と云う」(「古史本辞経」、ちくま学芸文庫『物と心』98頁)。
  いま手元にある『国語学原論』総論第七節「言語構成観より言語過程観へ」
 の関連する箇所を拾い読みしてみると、時枝はそこで、「特定の象徴音を除い
 ては、音声は何等思想内容と本質的合同を示さない。これを合同と考えるの 
 は、音義的考[かんがえ]である。」と書き、先の一文を例示したうえ、「音
 声は聴者に於いて習慣的に意味に聯合するだけであって、それ自身何等意味内
 容を持たぬ生理的物理的継起過程である。音が意味を喚起するという事実か 
 ら、音が意味内容を持っていると解するのは、常識的にのみ許せることであ 
 る。」と書いています(岩波文庫国語学原論(上)』108頁)。
 (以下、Webに続く)

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 ●連載「新・玩物草紙」●
  黒岩涙香/地 図

  寺田 操
  http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/singanbutusousi-34.html

  黒岩涙香
  5月の大型連休のさなか、「黒岩涙香」の文字をみつけて胸がざわついた。
 竹本健治『涙香迷宮』講談社2016・3・9)の新刊。探偵小説家・涙香 
 (1862〜1920)が主人公では?それとも評伝的な小説なのか?
  1980年代、黒岩涙香の翻案探偵小説『幽霊塔』『鉄仮面』『死美人』 
 (旺文社文庫)などを読んだ覚えがある。《雪は粉々と降りしきりて巴里の 
 町々は銀を敷きしに異ならず、ただ一面の白皚々を踏み破りたる靴の痕だも見
 えず、夜はすでに草木も眠るちょう丑満を過ぎ午前三時にも間近ければ》…書
 き出しから怪異の時間に引き込まれた。警官2人の警邏中、黒帽子に長外套の
 襟をあげて顔をかくす紳士が下僕を従えて歩いてきた。下僕の背には重たげな
 籠。なかには絶世の美女の死体。肋骨のあいだにスペードのクイーンの骨牌
 (カルタ)の札が突き刺さり…。フランスの作家ボアゴベイ原作『死美人』
 だ。(以下、Webに続く)

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