アクチュアリテとしての<啓蒙>

 私は、一体私たちが成人になることがあるのかどうか知らない。私たちが経験して来た多くの事がらは、啓蒙の歴史的出来事が私たちを成人にはせず、私たちはまだ成人になってはいないのだと、思わせるものだ。しかしながら、カントが啓蒙について反省することによって定式化した、<現在>および私たち自身についてのあの問いかけに、一つの意味を与えることは出来ると、私には思えるのだ。私には、カントの啓蒙の問いが、一つの哲学する在り方、しかも、過去二世紀にわたり重要性も有効性も持たなかったわけではない在り方、を示しているものであるとさえ思われるのだ。私たち自身の批判的存在論、それを、一つの理論、教義、あるいは蓄積される知の恒常体とさえ見なすのではなく、一つの態度、一つのエートス、私たち自身のあり方の批判が、同時に私たちに課された歴史的限界の分析であり、同時にまた、それらの限界のありうべき乗り越えの分析でもあるような、一つの哲学生活として、それは理解されるべきなのだ。
 この哲学的態度は様々な調査の作業に翻訳されるのでなければならない。そして、それらの調査は、技術論的なタイプの合理性であると同時に、諸々の自由の戦略的ゲームとしてとらえられた諸々の実践の、考古学的であると同時に系譜学的な研究においてこそ、方法論的一貫性を持つことになる。それらの調査は、また、私たちの事物に対する、他者たちに対する、そして私たち自身に対する関係の一般性がそれを通して問題化されてきた歴史的に単独な諸形式の定義のなかにこそ、その理論的な一貫性を持つものなのだ。さらにまた、それらの調査は、歴史的・批判的反省を具体的な諸実践の試練にかけるべきであるという配慮のなかに、自らの実践的一貫性を持つことになる。私は、今日、批判の作業が、啓蒙の光への信仰を含むものだと言うべきかは知らない。私が考えるには、批判の作業は、私たち自身の限界についての仕事を必然とするものであり、つまりは、自由を待ちのぞむ性急さに具体的なかたちを与えることが出来る忍耐強い仕事を必要とするものなのである。
フーコー「啓蒙とは何か」p392-393、『フーコー・コレクション6』ちくま学芸文庫

この態度は思想的系譜としては、ユマニスト対してモラリストの態度であり、フーコーの哲学的態度における指針でもあったように思える。また僕らの<啓蒙>に対するイメージの反省を促している。それは「私たちはまだ成人になってはいない」のであり、たぶん今後も成人にはなりえない。それは僕らが、存在としては<超越論的=形而上学的>立場には立てず、常に既に<限界的態度>において批判し続けることの可能性の中心において、<啓蒙>を目指すことでしかありえないからだろう。
「私が考えるには、批判の作業は、私たち自身の限界についての仕事を必然とするものであり、つまりは、自由を待ちのぞむ性急さに具体的なかたちを与えることが出来る忍耐強い仕事を必要とするものなのである」とするフーコーの結語でもある。


この<限界的態度>について、フーコーは次のように記している。

<私たち自身の歴史的存在論>を通して、私たちが言うこと、考えること、行うこと、の批判をするということによって成立する哲学的エートスとはいったい何なのか、そのようなエートスについて、より積極的な内容を与えなければならないのは勿論である。

 1 このエートスは、一つの<限界的態度>として性格づけることができる。それは、拒絶の態度ではない。ひとは、外と内との二者択一を脱して、境界に立つべきなのだ。批判とは、まさしく限界の分析であり、限界についての反省なのだ。しかし、カントの問題が、認識が超えることを諦めるべき限界とはどのようなものなのかを知るということにあったとすれば、今日における批判の問題は、積極的な問いへと反転されるべきだと、私には思われる。私たちにとって、普遍的、必然的、義務的な所与として与えられているものの間で、単独で、偶然的、そして、ある種の恣意性にゆだねられているものの占める部分とはどのようなものなのか、と問うべきなのだ。要するに、必然的な制限のかたちで行使される批判を、可能的な乗り越えのかたちで行使される実践的批判へと、変えることが問題なのだ。
 このことは、次のような結果をもたらす。すなわち、<批判>は、普遍的な価値を持つ形式的構造を求めて実行されるものではもはやなく、私たちが行うこと、考えること、言うことの主体として、私たちを構成し、またそのような主体として認めるように私たちがなった由来である諸々の出来事をめぐって行われる歴史的調査として批判は実行される、というものだ。この意味において、この批判は、超越論的ではなく、形而上学を可能にするという目的を持つことがないのだ。この批判は、その目的性においては、<系譜学的>であり、その方法においては、<考古学的>ものなのだ。<考古学的>である――超越論的ではない――というのは、この批判が、あらゆる認識、あらゆる可能な道徳の普遍的な構造を解明することを求めるのでなく、私たちが考え、述べ、行うことを分節化している、それぞれの言説を、それぞれに歴史的な出来事として扱うことをめざすという意味においてである。この批判が<系譜学的>であるというのは、私たちに行いえない、あるいは、認識しえないことを、私たちの存在の形式から出発して演繹するのでなく、私たちが今のように在り、今のように行い、今のように考えるのではもはやないように、在り、行い、考えることが出来る可能性を、私たちが今在るように存在することになった偶然性から出発して、抽出することになるからだ。
 この批判は、最後には科学とも化すような形而上学を可能にすることをめざすことはない。この批判は、自由の無限定な作業を、可能なかぎり遠くへ、可能な限り広く推進することを目指すのだ。

 2 しかし、単なる断言や自由の空疎な夢にそれがならないためには、この<歴史的-批判的>態度は、同時にまた<実験的>な態度であるべきだ、と私には思える。私が言いたいのは、私たち自身の限界に立つことで実行されるこの仕事が、一方では、歴史的調査の領域を開くものであるべきだということ、他方では、変化が可能であり、また望ましくもある場所を把握し、また、その変化がどのようなものであるべきかを決定するために現実と同時代(アクチュアリテ)の試練を自ら進んで受けるべきだということなのだ。それは、この<私たち自身の歴史的存在論>は、全体的で根源的なものであると主張されるようなあらゆる企てに、背を向けるのでなければならない、ということだ。じっさい、もう一つ別の社会、もう一つ別の思考様式、もう一つ別の文化、もう一つ別の世界観についての、全体的プログラムを与えるために、現況のシステムを逃れ出ようという主張が、事実においては、最も危険な諸々の伝統を更新することにしか導かなかったことは、私たちの経験の知るところである。
 思考様式、権威の関係、性の関係、私たちが狂気や病を知覚するやり方、などに関する幾つかの領域で二十年来起こってきたような非常にはっきりとした変化の方を、私はむしろ好む。私は、歴史的分析と実践的態度の相互作用の中で部分的にせよ実現してきた、それらの変化の方を、二十世紀を通して諸々の最悪の政治システムが繰り返してきた、新しい人間の約束よりも望ましく思うのだ。
 それ故、<私たち自身の歴史的存在論>に固有な哲学的エートスを、私たちが乗り越えることが出来る限界についての<歴史的-実践的>な実験である、したがって、自由な存在としての私たち自身に対する私たち自身の働きかけの作業である、と規定することができきる。
(「フーコー「啓蒙とは何か」p385-388)

「この<私たち自身の歴史的存在論>は、全体的で根源的なものであると主張されるようなあらゆる企てに、背を向けるのでなければならない、ということだ。じっさい、もう一つ別の社会、もう一つ別の思考様式、もう一つ別の文化、もう一つ別の世界観についての、全体的プログラムを与えるために、現況のシステムを逃れ出ようという主張が、事実においては、最も危険な諸々の伝統を更新することにしか導かなかったことは、私たちの経験の知るところである」という指摘は、切実だ。
「全体的で根源的だ」と主張された革命が反革命に転じる、それは自らの限界性を認識せず<超越論的態度>を僭称することからもたらされた悲劇だ。だからと言って僕らはシニシズムに陥るのではなく、<限界的態度>において批判し続けるべきなのだ。

http://d.hatena.ne.jp/kuronekobousyu/20070416/1176691705 参照。